村上アニキ、おれっちはまだ頑張るよ

今「やがて哀しき外国語」(村上春樹作)を読んでいます。昨年末までずっと「カムイ伝」という堅めの長編漫画を読んでいた。これ、漫画だけど、けっこう骨がある。わりとフーフー言いつつ読み切った。まあ以前から読みたいと思っていた作品なので、いいんですけどね。今年はどうしても「カラマーゾフの兄弟」に取りかかりたいと思っています。なので、なにか「軽いワンクッション」が欲しいと思ったわけです。ちょうど書棚に「やがて哀しき外国語」がじっくり熟成されていたので、読んでみようかと。すると、ちょうどいい塩梅でした。村上さんがアメリカに住んでいた1990年代前半の頃のエッセイ。やっぱり村上さんの文章はよい。さらさらと体にしみこむ感じ。ずばり表題作から引用してみます。

僕は傾向的、性格的に外国語の習得に決して向いてはいないし、とくに年を取れば取るほど、その「向いてなさ」が自分の中でより顕著になってきたような気がする。最近では「もう駄目だな。これ以上真剣に語学はできないな」とあらためて思うようになった。というか、自分の中における外国語習得の優先順位が年月の経過とともにどんどん低下しているのである。



村上さんが自身を語る本は、けっこう読んでいる。その中で、私は村上さんとよく似た心的傾向があると感じています。そのひとつとして「しゃべるのが苦手」というのがある。特に会議とかスピーチとか、すごく苦手。その結果としてなのか、独りでいるのが好きだし、独りで音楽を聴いたり、何か作業をしていて、それで何も不満はない。

おそらく村上さんも「外国語を勉強する」というのは、わりと好きなんじゃないかと思う。私だってけっこう好きだ。通勤時にコツコツ英単語覚えてるし。でも・・「俺たち(←勝手に仲間w)」には、コミュニケーションが苦手という宿命的な弱点があるわけだ。上記のように「オレは語学習得には向かない」と村上さんが自分を見切ったのは、何歳だったか? 本書の初出が1992年なので、なんと43歳頃の想いなのである。マジか。オレもう49歳やぞ、、 エイタンゴガガー!( ̄□ ̄;)

もちろんある程度の英語の会話はできる。でも英語を使って人と喋るのは正直言ってかなり苦手である。僕は日本語を話すのもあまり得意ではなくて、喋れば喋るほどだんだん気持ちが重くなってくるところがあるのだけれど、英語でもそれはやはり同じである。だから積極的に英語を使って話したいという気持ちはあまり起きないし、言うまでもないことだが、そういう人の英語会話能力はなかなか進歩しない。



村上さんが言うように「あくせく努力しなくても、まるで空気を吸い込むように自然にどんどん語学が身につくというような天才」は、確かに存在する。個人的に思うんですけど、こうした「語学の天才」は、まず必要条件としてコミュニケーションの達人であること。言いたいことがたくさんあって、他者と「関わりたい」という姿勢が強い人。そしておそらく、機知に富んだ人なんだと想像する。それこそパーティーが大好きとか、そういう人たち。「俺たち(←またw)」はその真逆だから、語学習得には不利なんだと思う。

今日もまた、私は英単語をコツコツ覚える。なぜって? やはり一種の知的好奇心ということになるだろうか。なにか曖昧なものがやんわりと、しかし確かに、私を駆りたてる。村上アニキは43歳で「哀しき外国語」とうそぶいた。そりゃ、アニキはいろんな国で生活してるじゃねえですか。いろんな国の人と触れあって、そうして「哀しき外国語」という結論を出したんだ。でも舎弟(←勝手にw)のおれっちは、外国で生活した経験なんて、微々たるもんですよ。「哀しむ」までも、行ってないんすよ。(咳払い)・・私は今年49歳になりますが、まだまだ未来に生きる人間なのです。だからこれからも、電車に揺られながら、英単語を覚えます。夢見る少年のように(笑)。以上「やがて哀しき外国語」で、ちょっと語ってみました。