おれ人見知りですけど、なにか?

えー、俺はそうとうな「人見知り」です。子どもの頃から、そういう素因はあったと思うんですが、やはり20代以降の「双極性障害」が関わってから、ひどくなった感じがある。もともと会議とかスピーチとか「大勢の前でしゃべる」という状況に、なんとなくの恐怖感を持っていた。そういう自己分析ができいていない青春期に、部活のキャプテンをやったりした時には、悲惨な状況だった。自分の限界を知っておくということは、いかなる時も重要だと思う。あの青春期に「勇気ある撤退」という大人な選択ができたら、もっとソフト・ランディングな20代を過ごせたかもしれない。

心を病んで過ごした20代後半から30代後半は、組織からずっと遠ざかっていた。だから「大勢の前でしゃべる」という状況自体が、あまりなかった。その間、抗うつ剤の減量があり、投薬内容は、かなり変化していた。そして自分的には忘れられない2009年のT診療所の新年会。20人くらいの集まりだっただろうか、ひとことずつ簡単なスピーチをすることになった。そこで自分自身にすごくビックリしたのね。順番が近づくにつれて、ひどい動悸がした。スピーチでは声が震えて、ちゃんとしゃべれなかった。そんな自分に更にビックリして動揺が激しくなる。もちろん、同席したみなさんは、それほど気にも留めず、さらりと流されたけど。俺はそのとき、恥ずかしさもあったのですが、それよりも「自分の中の得体の知れない変化」に強い不安を感じたのです。


人見知り、あがり症、引っ込み思案などがひどくなった状態を「社交不安障害」と呼ぶそうです。上記みっつ、俺はどれも素因あります。自己主張の薄い性格だし、なにかしら人を避ける傾向がある。例えば、ちょっと知っているくらいの人と街で出会うと、逃げるように避けます。FBでやりとりするくらいの人と、リアルに交わるのも苦手。それで人には、よく誤解されたりします。堅い言葉でいうと「対人過敏性」ということになるんでしょうか。そうそう、雑談とか世間話も苦手。マンションのエレベーターでばったり一緒になった人とは、いつも気まずい沈黙に包まれます。だって、適当な言葉が浮かんでこないんだもの。

2014年の春頃から、T診療所の内科会議に参加することになった。初めの頃は、あがり症との格闘でした。発言するたびに、必要以上に早口になったり、手が震えたり、動悸もしたり。ただ、そうした私に対して、会議のメンバーのみなさんはとても寛容でした。優しい眼差しを、ありがとうございます。AMIの搬送手順という案件を、自分なりにまとめたことは、とても自信になった。あれはT診療所にとって、万一のことを考えた場合、とても重要な意味のあることだと思っていた。各方面の責任者の方々のご協力のおかげだと思うし、あれで一皮むけたかな、と思います。なにごとも、自分が直面するハードルをごまかさないこと。いろいろ勉強になりました。

俺は友達が少ないです。というか、昨年ぐらいから、開き直っています。友達が少ないから、なんやねん!みたいな。無理に人と会って飲んだりしても、あんまり楽しくないし。だからもっぱら話し相手は、妻です。「人見知りでも伴侶は必要」という人生の矛盾は、これいかに?(笑) たまに妻から「あなたはなぜ私と結婚する必要があったの?」と訊かれます。俺はその質問の意味すら分からない。いつも「ぽかん」とした風情になってしまう。そりゃ、愛していたからだ。今も愛しているし。すると彼女から「じゃ、愛ってなによ?」とくる。人見知りな俺が「愛」を語ることほど、分不相応なことはないのです。愛ってなんだろう? 俺の存在そのものが、愛の反対(=無関心)なんじゃないのか? かくして俺は、自問自答のスパイラルに巻き込まれる。

妻には感謝している。なぜって、人見知りな俺に関わってきてくれるから。というか、日頃は「人見知りの放し飼い(笑)」みたいなもんですが、彼女もたまにイラッと来ることがありまして。そうしたときに、俺に詰め寄ってきます。孤独の甘さに溺れていた俺は、ハッと気がつくわけです。「俺は一家の長だったんだ」と。愛・・愛は「孤独の甘さ」に干渉するもの。自分が社会的な存在だったことを思い出させてくれるコミットメント。ありがとう、お蝶夫人♪。妻がもし俺より先にあの世に行ったら・・俺はその一ヶ月以内に孤独死するので、ヨロチクビ(・ω・) 以上「おれ人見知りですけど、なにか?」と題して書いてみました。