職業としての小説家≒職業的小説家(村上春樹の言葉より)

村上春樹が最近、エッセイを出して話題になっている。私は村上さんのファンだけど、新刊が出たから「とりあえず買っておく」という愚かなことはしない。行列に並んで買う? アホちゃう? もし買うとしても、文庫化されてから静かに買います。というか「1Q84」だって「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」だって、買ってません。それは興味がないということではなく、古今東西には村上さん以外に、いくらでもすぐれた作家はいるから。わざわざ村上さんの新刊に手を出すくらいなら、時の洗礼に耐えて現代に生き残る「古典」を読むべきだと思う。時間はきっぱりと有限である。特に中高年にとって、それは切実な問題です。村上さんだって人の子。好調なときもあれば、イマイチの時だってある。同時代の人を神格化するのって、幼稚なことだと思います。

さて、このエッセイは「職業としての小説家」というタイトルなんだけど、ふとシンクロした記憶があった。マラソンランナーのバイブルとも言われる村上さんの著書「走ることについて 語るときに 僕の語ること」の一節なんですね。149ページに「シンクロ」する部分があるので、引用してみます。

真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健康な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。逆説的に聞こえるかもしれない。しかしそれは、職業的小説家になってからこのかた、僕が身をもってひしひしと感じ続けてきたことだ。健康なるものと不健康なるものは決して対極に位置しているわけではない。対立しているわけでもない。それらはお互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあうことができるものなのだ。往々にして健康を指向する人々は健康のことだけを考え、不健康を指向する人々は不健康のことだけを考える。しかしそのような偏りは、人生を真に実りあるものにはしない。



この言葉、実に深いと思う。村上さんは作家という仕事をしている。つまり毎日毎日「文章を生産する」仕事なわけだ。「真に不健康なものを扱う」って、なんだろう? 個人的には「よい生産をする」ことだと思うのね。「よい生産」とは、心身を削ってようやく達成できる。誠意があって、意義深い仕事というのは、己の一部を削り取って、ようやく可能になる。「よい生産」じゃないとしても、仕事を続けるということは「毎日毎日」生産を続けるということだ。継続は力なりとは言うけれど、それにしても継続って「繰り返し地獄」に他ならない。え?何が言いたいかって? つまり「仕事は宿命的に不健康なものだ」と言いたいんですよ。

ある知識やスキルを「職業」にした瞬間、それは遊びではなくなる。「仕事」という毒を孕んだ不健康な営みになり代わってしまう。もちろん対価としてのカネは稼げる。しかし・・この「仕事」という奴。こいつを無防備にやり続けると、いつしか心身は侵蝕され、破壊されていく。この仕事というものの「毒性」について、考えてほしい。・・結局のところ、人間は生きていく上で「なんらかの毒」が必要なんだと思う。逆に「無毒の人生」があったとしたら、どんなに退屈だろう! 仕事という毒を呑み込んで消化し、排泄していくプロセスで成長できるとしたら、それは幸せなことだろう。「人間は労働する動物である」という文脈では、仕事は必然の毒なのである。あるいは、毒を毒ともしない「大海」になれば、いわゆる立派な大人ということなのかもしれない。

「健康なるものと不健康なるものは、お互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあう」という言葉について。さっき「仕事は不健康」って書いたけど、厳密には違う、という話ですね。例えば「仕事が面白く感じる瞬間」って、あるじゃないですか。できなかったことができる、あるいは分からなかったことが理解できるようになる。ま、成長を自覚できる時というんでしょうか。それはいつも、苦しみと渾然一体となって生まれる。苦しみなくして、そうした「達成」はあり得ない。おそらく村上さんは、そうした「生産の苦しみ」をずっと感じてきたし、これからも予感されているんだろうと思う。つまり村上さんは、自分の限界と闘う「行者」なんですね。行者だからこそ、実感として上記のような「深い見識」が生まれるのだ。

果たして人生とは「修行」の場所なんだろうか? 村上さんのような「行者」としての人生は、端から見ると格好いいけど、それが「唯一の正解」とも思わない。ただ・・ひとつ見えてくる真実がある。それは「生産をまったく止めてしまうこと」は、人生を辞することだということ。人間は死ぬまで、すべからく働くべきであると思う。健康と不健康のはざまを、何歳になっても、それなりの脚力で駆け上がらなくてはならない。そうすれば、村上さんの言うとおり、なんらかの「実り」はできるに違いない。それこそが「希望」なんだと思います。以上、村上春樹の言葉からインスパイアされて、書いてみました。