「守銭奴」をめぐる意外な展開

暑い夏がそろそろ終わりに近づき、いわゆる「芸術の秋」がやってきます。まるちょうという人は、今でこそ「大人の塗り絵」だの、なんちゃら美術展だの、やたら芸術人ぶってますが、40年以上生きてきて、それほど芸術というものに勤しむ機会はありませんでした。例えば中学生時代を思い出すと、鉛筆による模写を先生に褒められたり、手の彫刻がこれまた上手に彫れて、先生に激賞されたり、そういう断片的なエピソードはあったのですが、その場かぎり。もしかしたら芸術的な才能って、わりとあるのかもしれませんが、何しろ開墾されていない。経験を積まない才能は、結局のところゼロです。でも・・アラフィフになって、ようやく自分の才能らしきものに気づき始めた?ので、遅まきながら、少しでもそうした方面を頑張ってみようかと思っています。

さて先日、京都市美術館へ「ルーヴル美術館展」を観に行ってきた。こうした絵画展に行くたびに思い出す絵画があるんです。遠い記憶の断片のなかに埋もれている、あの筋骨たくましい腕。「守銭奴」というタイトルの絵画で、子供心に「守銭奴って、もっと狡猾で卑怯な感じじゃないの?」みたいな疑義を抱いたのです。私という人間は、あまり自分の意見を持たないタイプの子だったので、こうした「疑義」は、珍しかったと思います。守銭奴というモチーフと筋骨たくましい腕、この奇妙な違和感がずっと私の記憶の片隅に息づいていたのです。絵画展に行くたびに心がじりじりするようで、でもあの「守銭奴」という絵画とは永遠に再会できないんだろうな、とあきらめていました。格好良くいえば「飲み残した一杯のアブサン」みたいな。


ルーヴル美術館展を観て、帰宅してからふと「インターネット検索で出てこないだろうか?」と思いついたのです。確かこれまでにも何回か試みて、失敗しているような・・ でも、ダメモトで「守銭奴 絵画」でググってみた。すると画像検索でヒットしたんです! ヤフオクで二点、その「守銭奴」の模造品が売りに出されていた。 思わず「おお!」ってなりましたよ。そこから、この絵画の情報がいろいろ芋づる式に取り出せたんです。これはなんという僥倖だろう!

守銭奴

「守銭奴」はトマ・クチュール(1815-1879年)というフランスの画家により描かれた。この「守銭奴」は、おそらく彼が30代頃の作品と思われる。私の記憶に残る印象は、あくまでも「たくましい腕」だったんですが、いざこの絵画と再会してみると、筋骨たくましい老人の絵でした。闇の中に浮かび上がる、ひとりの老人。髭はぼうぼうで野卑な感じの、しかし腕力は強そうな老人である。鼻と頬がやや赤みを帯びており、酒も入っているのかと。右手には紙幣?らしきものが握られ、「おまえになんか絶対に渡さん」という意志をみなぎらせている。

今、これを「守銭奴」として見せられたら、なんだか納得してしまう。インテリジェンスが低下した状態での、カネへの執着ってありがちですよね。寛容性が崩壊したときの、視野の狭窄。トマ・クチュールは、もしかしたら「知性の真逆」を描こうとしたのかもしれない。知性あるところ、寛容であり、富は平等に分配され、余計な争いは起きない。逆に知性なきところ、暴力がすべてを支配し、富は勝者が独占する。この絵画のじいさん、知性はなさそうである。闇に浮かぶという構図が、なにかしら不安を予期させる。

さらに調べてみると、この絵画を観た美術展がなんだったかも、分かりました。1979年に京都国立近代美術館で催された「フランス絵画の巨匠たち -ボストン美術館秘蔵展-」だったんですね。当時、私は12歳。おそらく舞鶴から京都へ引っ越して間もない頃です。母が私を連れて行ったのでしょう。この絵画展はそうそうたる作品が並び、モネ、ルノワール、セザンヌ、ミレー、コローなどなど・・ そうした中で、なぜか「守銭奴」だけが私の記憶に留まった。おかしなもんですね。12歳の幼い心で「あれ?これはおかしいな」と思ったのがポイントでした。やはり、自分の自我から発する「疑義」があってこそ、作品に深く入っていけるし、記憶にも残るんだと思います。

最後に。なんと言ってもインターネットというツール! 例えば1990年代は、たぶん検索してもヒットしなかったはず。ITの絶え間ない発展のおかげで、こうした「ささやかな僥倖」が可能になったんですね。現代の技術が、過去の記憶を掘り起こしてくれる・・面白い現象だと思いました。以上、ルーヴル美術館展についての副産物的なことを書いてみました。