近況その壱・・舞鶴の恩師訪問

近況を三回に分けて書きます。さる4月26日(日)に、舞鶴にお住まいの恩師(小学校一年時の担任)に会いに行った。先生は御年95歳になられる。18年前に、ひょんなきっかけで再会することになり、それから毎年訪問している。18年前・・先生が77歳のときは、私はどん底の状態であり、たいそう元気をいただいた。庭のけやきの新緑がまぶしかった。私が次第に恢復していくのを、心から喜ばれた。12年前に結婚したときは、我がことのように喜んでいただき、とても幸福な気持ちになった。

しかし先生も齢をかさね、いまや95歳。やはり身体の衰弱は隠せない。特に下肢の力が落ちている。というか、この冬をなんとか越せたことが、私にとっては嬉しかった。肺炎とか転倒からの骨折とか、リスクはあふれかえっている。またお話ができることが、素直に嬉しかった。私はふたつ「贈り物」を持参していた。自分としては2014年の成果であり、ぜひ先生にお伝えしたいことではあったが、先生がどう反応されるかは未知数だった。というか、それほど期待はしていなかった。先生は先生の生活があり、毎日を生きることで精一杯なのであり、そうした「贈り物」にどれだけの意味があるのか? ・・なんて、舞鶴に来るまでにいろいろ想いをめぐらせていた。


「贈り物」とは、ひとつは「やさしい大人の塗り絵」の画材つきのセット。これ、持っていくかどうか、相当に迷ったんだけど、お蝶夫人♪のアドバイスで、持参することにした。私はこういうのが全然分からないので、彼女のアドバイスは非常に参考になった。彼女いわく「こういうのは、重くなく『すっと』渡すのがよい」と。気が向いたらやってみて下さい、というスタンスね。ま、こういうのは実際にデイケアでも採用されている「作業」なので、悪いはずがないと思うんだけど。肝心の先生の反応は・・これが非常に喜ばれた。意外なほど素直に喜ばれるので、こちらも嬉しくなる。私のルノワールの絵も参考までにお見せしたけど、とても褒めていただいた。こうしたとき、先生って全く拗ねたところがない。なんというかな、童心にかえるような表情で喜ばれるんだな。天真爛漫というか。

もうひとつの「贈り物」は、医師会からの雑誌「京都医報」の正月版。そう、私の「新春随想」が載っているやつ。医師会から三部送られていたので、はっきり言って余っていたのだ。恩師である先生にお渡ししたら、もしかして喜ばれるかな?なんて、思ったのです。だって、文章の内容が、まさにこの20年のプロセスをまとめたものだったし。先生には、ずっと見守っていただいたわけで。この冊子を渡すと、これまたとても喜ばれた。「我がことのように」喜ぶ先生をみて、やはり根っからの「教師」なんだな、と思わずにいられなかった。生徒と向き合うのではなく、同じ風景を見るという意味でね。生徒の喜怒哀楽を、ちゃんと共有するという態度、素晴らしい。ありがとうございます。

かくして「ふたつの贈り物」は、しかと先生の手に渡った。95歳という超高齢は、毎日が闘いだと思う。楽しいことが少なく、苦しいことが増える。そんな状況で「あえて生きる」という選択をするのは、我々の想像を絶する厳しさだと思う。先生、来年また参ります。何卒お元気で、またいろいろお話しましょう。