近況その弐・・チューリヒ美術館展に行ってきた

images近況ふたつめ、いきます。さる5月4日(月)に、神戸市立博物館まで足を伸ばして「チューリヒ美術館展」を観に行ってきた。ずーっと行きたいと思っていたんだけど、結局ギリギリになってしまった。一年半前の「プーシキン美術館展」では、えらい迷子になってしまい、すごいエネルギーを消費してしまったので、今回はちゃんと地図を持参。すんなり目的を達することができた。三宮という場所は、とても入り組んでいる。聖俗、JRと阪急と地下鉄、新旧・・焦点の定まらない街だ。俺みたいな方向音痴の人間は、混乱してしまう。ま、あくまでも個人的な意見ですが。

今回の俺的イチオシは、クロード・モネの「国会議事堂、日没(1904年)」かな。幽霊屋敷のような国会議事堂に、夕焼けの荒々しいオレンジ。まさに「光と影」を軸に、余分なところは全て削ぎ落としてある。心のなかで「うわー」と嘆息しながら、じっと眺めていた。この作品が放つクオリアは、とても深い。本作の主題は、ロンドンの大気である。陽光と霧のケミストリーにより生ずる、夢幻のような色合い。そう、まさに夢幻なんです。


txt

本作は、ロンドンの国会議事堂(ウエストミンスター寺院)の姿を、テムズ川越しに描かれたもの。しかし、印象派たるモネの手腕により、そうした些末な具体性は、さっぱりと吹っ飛んでしまう。これを観る人の心は、ロンドンなんかではなく、自分の内部に向かうんだな。いつかみた、神秘的な夕陽、川面にきらめく光、幻影のような建物。ひとつの心象風景として、観る者の心に蘇る。そう「よみがえる」のである。荘厳なノスタルジーというか。色彩的には、夕陽のオレンジ系と議事堂の群青系の対比かな。曖昧で怖くて優しい、矛盾をふくんだ対比。

次に心に残ったのは、このポートレート。なんて言うんだろう、どうにも惹きつけられる絵である。鼻孔の開いたふてぶてしい鼻、アシンメトリックで分厚い唇、二重でしかも頑固に割れた顎、眉間にはtxt不機嫌そうなしわ、野心に満ちた眼、いい年こいて寝ぐせ。なにより、頚部の消失がぎょっとくる。しかし、である。着ているものは、フォーマルなダークスーツとネクタイ。この絵の「不可解なギャップ」は、暴力的ですらある。なんなんや、このおっさん。見れば見るほど、おかしい。

本作はマックス・ベックマンという画家の作品(1917年)。「おっさん」の正体は、オルガン曲で有名なドイツの作曲家で、ピアニストや指揮者として活動したマックス・レーガー(写真)である。ベックマンとレーガーには、特に接点は見出されない。実は、本作はレーガーの写真をもとに描かれた。レーガーは非常に不摂生な人で、極度の肥満、過度のアルコール、そしてヘビースモーカーであった。その一方で、非常に豪快で好戦的であり、数々のエピソードが残されている。おそらくタイプAだったんじゃないかな。心筋梗塞により、43歳という若さでこの世を去っている。医学的には、まったくもって「想定通り」の人生かもしれない。

max

そうした知識をふまえつつ、もう一度ベックマンの絵を見て欲しい。レーガーという破天荒な人間像を、なんと精密に表現しているではないか! 上記の「不可解なギャップ」も、なるほどとうなずける。身なりは銀行員だけど、あの寝ぐせはどうみても芸術家だよね。大人になりきれてない子供というか。資料によると、ベックマンはレーガーの音楽は、好んで聴いたようだ。そしてレーガーの死後、このポートレートのオファーが来た。これは想像だけど、ベックマンはレーガーの不器用で逸脱した、しかし芸術家として足跡を残した「人間像」を、まさにこの絵画に刻み込んだ。根底にはレーガーという「やさぐれ芸術家」に対する「親愛」があるように思う。そして同時に、この男の「どうしようもない弱さ」を描き出している。

神戸市立博物館を出て、駅前の地下街で、まずい親子丼セットを食べて、帰路についた。GW中であり、どこも人でごった返していた。大いに疲れたけど、美術館めぐりというのは、なんか自分には合っているような気がする。特にこうして、印象に残った絵画について深く入っていく、そして自分なりに記述する作業は、なんかいいような気がします。今度は京都でルーヴル美術館展があるので、楽しみです。以上「チューリヒ美術館展に行ってきた」と題して、書いてみました。