「脱抑制」について、考えてみる

前回に引き続き「茂木健一郎の脳科学講義」から、引用して考察してみます。みなさんは「思考や行動が、何かに取り憑かれたように、よどみなく流れる」ような現象を体験したことはないだろうか? これ、脳科学的には「フロー状態」と言うそうです。以下、ちょっと引用してみます。

たとえばスケートの清水宏保選手が調子のいいときには自分の走っているコースが光の点になって見えるとか、あるいはモーツァルトが一瞬のうちに交響曲を構想してしまって、あとはそれを書きくだすだけとか、そういう状態をフロー状態というんですね。要するに、無意識のうちに流れるように生み出してしまう状態。



私はこの「フロー状態」は、日常的に経験しています。だってほら、このBlog書いてるときなんか、まさにそう。確かに、苦しんで苦しんで書き上げる場合もある。でも、自分でも意外なくらいに「さささ~」と流れるように書けてしまうことがあるのね。あさってくらいにアップの予定が、今日できちゃう、みたいな。ホントに不思議な現象。

この現象の本質は「脱抑制」ということなんです。つまり無理して何かを脳にやらせるというのではなくて、脳にふだんかかっている抑制をうまく外してやること。すると脳が自動的にうごくんです。サバン症候群といわれる自閉症の天才たちの能力も、本質は脱抑制です。無理して創造力を発揮するというのではなく、抑制を外すと勝手にやってしまうという形態なんですね。


すごく分かりやすく言うと、親しい友人とファミレスや居酒屋でしゃべっている時なんかは「ミニ・フロー」とでもいうべき状態なんですね。すごくリラックスして、べらべらしゃべる。こうした状態になると、なんといっても楽しいし、いい意味で「空気が流れる」わけです。

脱抑制をいかにして実現するか? これはすごく難しい問題です。大勢の前でしゃべらなければならない人が、いくら心のなかで「リラックス、リラックス」と念じたところで、無意識のほうがついていかない。脳科学的には、脱抑制の何が難しいかというと、情動がからんでくることなんです。情動って、大脳基底核のドーパミンとか、そういうものの作用なんだけど、一般的には情動は意識ではコントロールできない。でも情動を通してリラックスしなくちゃ抑制は外せない。

これは個人的な意見ですが、脱抑制を引き起こすための「小道具」は、あると思っています。例えば・・音楽、軽い運動(散歩、ヨーガとか)、適量のアルコールなど。私はBlogを書くときは、いつも癒やし系ジャズをBGMにしています。しかも書き始めは、同じ曲になることが多い。いわゆる「お気に入り」ですね。そうそう、夕食を食べるといつも、気分がよどむんです。そこからプチヨーガをすると「詰まっていたものが流れる」感覚がある。ヨーガ的には「気が流れる」というのかな? これも「プチ・フロー」だと思っています。あと、これはあまり好ましくないのですが、会議の30分前には、デパス1mgを服用しています。これは脱抑制というよりは、抑制を悪化させないためです。だって、発言で声や手が震えるんだから、仕方ないよね。

抑制を外すのは、プラスになるばかりでなく、当然マイナスになることもある。「切れる」といわれているやつですね。抑制を外したときにマイナスのクオリアがコピーされる。幼児虐待を受けた人というのは幼児虐待をしてしまう傾向があると言われている。ひとつ言えるのは、モーツァルトもそれ以前の人の曲を聴いていたわけで、いいクオリアを脳に取り入れていると、脱抑制したときにいいクオリアが出るわけですね。一種のクオリアのコピーが起こるというんでしょうか。



現代ではメディアが年少者にも開かれて、グロテスクとか暴力とか、人間のいやなところを見る機会が増えた。そこで刻まれるクオリアは、のちの人生で脱抑制したときに、ふと、マイナスのクオリアが出てしまう心配がある。幼児虐待なんかは、その典型。だから、環境って大事だと、つくづく思います。アーティストの役割とは、美しいものを生み出して、そういうクオリアを人々の脳の中に刻むことではないか、と茂木さんは言っておられる。どうせ現実なんて、やりきれないんだから。次回もうひとつだけ、茂木先生の本から、書いてみます。