近況をひとつ。インフルになっちまいました。ずっと「俺はぜったいにインフルなんかにはならん」と信じ込んでいた。というのも1999年以降、一般内科外来をしていて、一度もインフルになったことがなかったから。最初の五年くらいは、ワクチンすら打っていなかった。それで多数のインフル患者さんを診察し、なぜか発症しなかった。2009年の新型インフルのパンデミックだって、無事だったし。インフルという病気は、診るものであって、自分がかかるものではない・・という奇妙な確信が、いつの間にか私の心の中にはびこっていた。
振り返れば、1月19日(月)は、父の白内障の手術のお見舞いで、わりと疲れた。この日は48歳の誕生日でもあり、お蝶夫人♪と二人でいろいろ行動できたのはよかったとは思う。草津近鉄のクラブハリエで、ちょっとお洒落なケーキ食べたり。それはそれでよかったのだが、いかんせん、私という人は「適切な休養がないと、すぐにダメになってしまう」ポンコツ野郎なんです。
20日(火)。出勤の電車の中で、すでに咳込みとだるさがあった。だって、好きな音楽も聴けなかったし。音楽を聴けないという状態は、心身のどちらかに不調のあるとき。午前の外来はなんとかこなすも、午後の会議が長~い! 本当のところは、咳もあるしだるいし、欠席しようかとも考えた。でもまあ、ギリギリでなんとか行けるかなと。でも、この判断が間違っていた。密室に三時間閉じ込められるということを、うっかりしていた。そう、自分だけの問題ではなかったのだ。会議中、咳が出そうになるのを必死でこらえる。それだけで精一杯だった。例のAMI転送の案件も、実のところどうでもよかった。とにかく早く部屋から出て、帰って休みたかった。帰路、満員電車で座ることもできず、まさに忍の一字。生き地獄とはこのことか、みたいな。
帰って、風呂に入ってメシ食って、一度仮眠する。起きて熱を測ると、37.8度。乾咳もかなりひどく、てっきりマイコ気管支炎とばかり思っていた。手持ちのミノマイシンとフスタゾール、麦門冬湯をのんで寝る。一晩寝れば、なんとかなると思っていた。この夜の記憶はほぼ飛んでいる。手帳も記載がない。よほど疲れ切っていたんだろう。
そして、21日(水)。この日はちょうど午後の心電図がなくて、まあ、しんどいなりになんとか行けるだろうと思っていた。もっぱら「デフェンスを意識」した日というわけ。外来は忙しかったけど、無難にできたと思う。帰路、電車内では、もっぱら目を閉じてウトウト。雑誌とか読む余裕もなし。帰宅して、まず検温してみる。このしんどさ、ちょっと違うぞみたいな感じね。どどーんと38.8度。目を疑った。念のため、もういちど測り直すも、38.6度。あれー? マイコ肺炎になってもうたんやろか? 嫁はこの数字を言ってもあまり反応しない。「ボル坐入れて寝たら?」とのたまう。その時点で、私の思考は完全に停止していた。気がついたら、ボルタレン座薬(50mg)を入れていた。そうして一路、寝室へ。
布団に入っても、まったく眠れない。しんどくて、何度も寝返り。次第にある疑念がわいてくる。「あれ? これもしかしてインフルじゃないの?」 そう、その頃は、咳や咽頭痛は影をひそめて、熱とだるさがメインになっていた。「あかん、これ誤診したわ!」と、リビングへ飛び出す。嫁に「これ、インフルかもしれん!」 嫁は揚げ物に取りかかっており、私と温度差がある(シャレみたいw)。彼女は「はたさんに行ってきたら?」と即答。はたさんというのは、いつも通りかかる近所の「栗東はた内科医院」のことだ。HPで確認したら、16時から夜診が始まっている。今は17時なり。この高熱の状態で、相当に待たされるのか・・ウゲゲ。私は何度も言うが、思考停止で操り人形みたいやねん。ハードボイルドな気分で荷造りして、夕刻の寒空の下、外へ出て行った。
はた内科医院までは、歩いて10分くらい。途中から、ボル坐が効いたのか、発汗が猛烈な勢いではじまり、ぐっしょりになる。もちろん、額からも汗がだくだくで、メガネが曇る。いかん、これじゃ、すぐに凍えてくるぞ。足早に進むも、途中で財布に二千円しかないことに気づく。うまいことセブンイレブンがあったので、ATMから一万円おろす。メガネふきふき操作したよ。そうしてなんとか、はた内科医院へたどり着いた。
ラッキーなことに、待合は三人くらい。心の中でガッツポーズ。初診受付して、体温を測る。37.8度。かなり下がったな。ぼーっとしていると、10分くらいで呼ばれた。「ええ、マジで?」という感じで、診察室へ。畑先生は、私と同年代くらい。物腰は柔らかいが、きびきび動かれる。インフルテストをして、結果が出るまでの所作に、まったく無駄がない。極めてスムースにインフルAが検出された。☞ 隔離室へ。支払いなども、そこですべて完結。近所に、こんな素晴らしいクリニックがあるとは、とんだ灯台もと暗しである。
こうして、インフルAと診断されるに至る。この後、嫁も関節痛と頭痛 ☞ 38.5度の発熱あり。夫婦そろってインフルとなる。でもなんだね、医療従事者がインフルってのは、恥ずかしいもんである。まさに「やっちゃった感」半端ないっす。各方面の関係者のみなさま、ご迷惑をおかけして、すみませんでした。週明けには、しっかり体調を戻して、仕事がんばります。よろしくお願い申し上げますm(_ _)m 以上、人生初のインフル感染について、書いてみました。
なんか、この文章読んでたら、あまりにも私があっさりした反応を
しているように誤解されそうですが・・・。
火曜日からあまりにも「マイコ、マイコ」と言い続けていたので
すっかり私も「マイコプラズマ」による空咳だと思ってました。
私自身もこれまでインフルにかかったことがなく、普段もジムで
かなりのトレーニングをしていたので妙な自信があったのです。
「これ、インフルかも!?」と起きてきたときは、「しまった!ボルタレン
使ってしまったやん!カロナール使うべきやった!」と叫んだはず。
(なにも揚げ物に集中していたわけではありません。本人は忘れたのか?)
「○○総合病院はどうやろ?」とわざわざ遠方の、しかも夜診のない病院を
目指そうとしたので、「はたさんは?ちょうど夜診してる時間に間に合うよ。」と
軌道修正したのです。
なんか本人はテンパッていて、違うニュアンスで書かれていたので
追加してみました・・。悪しからず。