孤独と闘いと男と女

村上さんのQ&Aのコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、まるちょうなりに考えてみたいと思います。

<質問>私は以前、仕事やその他いろんなことで疲れきっていたときに、ひたすら小説を読んでいたことがあります。現実逃避というやつですね。村上さんは、嫌なことがあったときは体をいじめると、以前におっしゃっていましたが、そうすると「孤独な性格」になるというのは私にもよくわかります。もともと一人でいることは好きな方なのですが、そういった私の性格を、一部の友人はよくないもののように言います。もっと社交的になった方がいいとか。村上さんは、孤独な性格を誰かに非難されたことはありますか? 私は、いいじゃん別に誰にも迷惑かけてないんだし、と思っているのですが。実は誰かが迷惑しているのかもしれません。(29歳 サービス業)

<村上さんの回答>僕は結婚して28年になりますが、うちの奥さんは僕の孤独癖を非難し、バリアーを打ち砕いてきました。僕はそれに対抗して、せっせと毎日長距離を走り(走っている間は一人でいられる)、音楽を大音量で聴き(そのあいだは話さなくていい)、集中して小説を書いてきました。人生は長い闘いです。自由と孤独は、闘いとるものです。「誰にも迷惑かけてないんだもの、私が孤独にしてたってべつにいいじゃん」とは、なかなかいかないのです。それにそういう種類の批判を回避した(つまり闘いとられていない)孤独は、いつか人の心をむしばんでいきます。ほんとですよ。だからがんばってね。

<まるちょうの考察>上記のやりとりをみて「ノルウェイの森」の、あの箇所をもう一度読み返したくなった。なんかのどが渇くくらいに。小林緑がワタナベ君に渡したプチ手紙のことだ。ちょっと抜粋してみますね。


(前略)ねえ、知ってますか? あなたは今日私にすごくひどいことしたのよ。あなたは私の髪型が変わっていたことにすら気がつかなかったでしょう? 私少しずつ苦労して髪をのばしてやっと先週の終わりになんとか女の子らしい髪型に変えることができたのよ。あなたそれにすら気がつかなかったでしょう? なかなか可愛くきまったから久しぶりに会って驚かそうと思ったのに、気がつきもしないなんて、それはあまりじゃないですか? どうせあなた私がどんな服着てたかも思いだせないんじゃないかしら。私だって女の子よ。いくら考え事をしているからといっても、少しくらいきちんと私のことを見てくれたっていいでしょう。たったひとこと「その髪、可愛いね」とでも言ってくれれば、そのあと何してたってどれだけ考えごとしたって、私あなたのこと許したのに。

(中略)ははは、馬鹿みたい。だってあなたは家においでよとも誘ってくれないんだもの。でもまあいいや、あなたは私のことなんかどうでもよくて一人になりたがってるみたいだから一人にしてあげます。一所懸命いろんなことを心ゆくまで考えていなさい。

(中略)私はただただ淋しいのです。だってあなたは私にいろいろと親切にしてくれたのに私があなたにしてあげられることとは何もないみたいだからです。あなたはいつも自分の世界に閉じこもっていて、私がこんこん、ワタナベ君、こんこんとノックをしてもちょっと目を上げるだけで、またすぐもとに戻ってしまうみたいです。(中略)あなたは鉄板みたいに無神経です。さよなら。



村上さん、解ってんじゃん。女の子の淋しい気持ち、細かいところまで記述してんじゃん。そう、結婚生活とは、ある意味「確信犯として、なんの罪を犯すか」ということなんですね。おそらく村上さんは、長い結婚生活の中で、陽子夫人を泣かせてきたんだろうと想像する。もちろん、確信犯として。結婚って宿命的に、そういう部分ってあると思う。人生の不条理というか。

おそらく陽子夫人は、村上さんの「わがまま」を許してくれる菩薩なんだと思う。たぶん、無二の存在じゃないかな。夫の「疾走する孤独癖」をギリギリのところで許容できる人。そんな人、なかなかおらへんよ。女性として生きるのに、こんな苛酷な人生はない。でもただ一つ、村上春樹という大作家の「成長と苦悩」を間近で見守れるという喜びは、あるに相違ない。村上さん自身も、そうした奥さんの「宿命的なつらさ」は、百も承知なのね。だからこそ、日々、孤独を闘いとる。じぶんの「地獄」をひたすら突き進む。そこに言い訳は、ひとかけらもない。生産と変革、自分を乗り越えていくことの連続だと思う。

さて「回避した孤独」の最大の欠点は、他人と向き合わない以上に、自分と向き合わないことだ。自分の弱点から目をそらして、殻の中でぬくぬくと生きる。近頃のいわゆる「ネット依存症」なんてのは、その類いかな。ネットの一番こわいところは、いつの間にか「視野狭窄」になってしまうことだ。ネットという限られた世界が「世界のぜんぶ」と錯覚してしまう。そうして、次第にリアルな人間から視線を外して、ネット端末へ入り込んでしまう。それはすなわち「回避」であり「安逸」に他ならない。村上さんが言う「心をむしばむ」構造ですね。まるちょうも思います。すべからく人生は闘いとられるべきものであると。以上「村上さんのQ&A」のコーナーでした。