希望って、曖昧なほうがいい

言葉からインスパイアのコーナー! 今回は「置かれた場所で咲きなさい/渡辺和子作」の中から、ちょっと抜粋して、引用してみます。渡辺さんは「希望には人を生かす力も、人を殺す力もある」と記している。オーストリアの精神科医、ヴィクター・フランクルの著書より。

フランクルはユダヤ人だったために、第二次世界大戦中、ナチスに捕らえられて強制収容所に送られた。そこでフランクルが目の当たりにした実話。「収容所での地獄のような生活は1944年のクリスマスまでには終わり、自分たちは自由の身になれる」という淡い望みを持っていた人がたくさんいた。ところがクリスマスになっても戦争は終わなかった。そうして「淡い望みの人々」の多数は、クリスマス後、死んでしまった。

二人だけが生き残った。この二人は、クリスマスと限定せず「いつか、きっと自由になる日がくる」という永続的な希望を持っていた。一人は自分がやり残してきた仕事を完成させること、もう一人は外国にいて彼を必要としている娘とともに暮らすことを考えていた。

事実、戦争はクリスマスの数ヶ月後に終わったのだが、その時まで生き延びた人たちは、必ずしも体が頑健だったわけではなく、希望を最後まで捨てなかった人たちだったと、フランクルは記している。



希望ってなんだろう? この言葉を考えるたび、1997年からの苦しい三年間を思い出す。あの頃、私は体調不良にて「どん底」を生きていた。二週間に一度、五日間くらい何もできなくなってしまう。こんこんと眠りつづけるが、小便と食事だけはする。そして、五日目くらいにようやく風呂に入る気になって、排便もする。そうして、通常の状態にもどり、仕事を再開する。そうした坦々としたサイクルが延々とつづく。主治医も首をかしげる。うつ病なのか、睡眠障害なのか、はたまた希少な難病なのか。私はまったく五里霧中だった。

これはある意味「強制収容所」に似た趣があるかもしれない。だって、先がまったく見えないんだから。そして考える「希望」という言葉を。あの頃、希望ってあったのかな、と。1997年の10月から休職となり、日記を書き始めた。それを読み返してみると・・おもしろいことが分かる。どん底の地獄にいたわけだけど、それなりに楽しんでるのね。図書館で勉強したり、愛宕山に登ったり(通算58回)、オリンピックに熱中したり(長野、シドニー)、風俗に行ってみたり、将棋道場で指したり・・ そうそう、パソコンとの出会いも、ちょうどこの頃だった! 世の中はIT化の波であふれかえっており、いわば「潮時」だったかもしれない。初恋のマシンPowerBook 3400c 240がわが家に到着してから、私は「置き忘れてきた過去を取り戻す」かのように、パソコンという魔法の箱にのめり込んだ。パソコンという道具から、自分のHPという居場所が生まれる。毎夜、顔も知らないメル友とメールを交わす。あの頃の孤独な状況にとっては、パソコンはなくてはならないツールだった。

ふたたび、問う。希望とは何だろう? おそらく「どんなに地獄でどん底でも失われないもの」じゃないかな。私という人間は、自分で言うのもなんだけど「希望がなくなりにくい」特性があるように思う。まず第一にプライドが低い。いわゆる「高い理想」なんて、別にない。おもしろがり。なんでも素直に感動して、おもしろがる。非常にハードルが低い。ヒエラルキーとか品位とか、あまり気にしない。悪く言えば、下品でカオス。よく言えば、ええじゃないか。

希望と「期待、欲望」の違いは? 期待や欲望は、ベクトルがある。自分から外に伸びている矢印がある。でも、希望はいつも「自分の中」にある。だからこそ、期待や欲望が叶わないとガッカリだけど、いちおう生きていける。でも、希望は無くなってしまうと、もう生きていけない。そう、希望は「生きようとする力」と言い換えることができる。「クリスマスには戦争が終わる」と願った人々は、みずから「希望=生きようとする力」を限定してしまった。対して、助かった二人は、それを限定しなかった。つまり「希望を曖昧にしておいた」ということね。その背景には、自分の運命に対する寛容さ、悪く言うと鈍感さ、そして楽天性があると思う。まさに「ええじゃないか」ですわ。こうした人々の「願い」が叶うのは、とても遅いだろう。でも人生って、その「ゆっくりとした願い」が叶うのを待つだけの時間延長は可能だと思うんですよ。

あの「どん底の三年間」・・ひとつ明確だったことがある。それは「医師としてのキャリアの半分は諦めなければならない」ということ。つまり、医師として論文を書いたり、学会で発表したり、そうした「表舞台」に立つことはもうない、ということ。実際、明日をどう生きるかだけでも必死のぱっちであり「医師として成功する夢」なんて、とっくの昔にどぶに捨てていた。あるのは屈辱であり、恥であり、劣等感だった。でも・・希望は確かにもって生きていた。当時の日記を読んでいたら、よくわかる。「どん底なりにおもしろがって」精一杯に生きていた。

収容所で助かった二人は、もしかして「収容所という地獄も、それなりに悪くない」と思っていたんじゃないかしら? そう「ええじゃないか」ですわ。地獄を嫌悪せず、ぼんやりと受け入れる心持ち。それこそが「みずからの希望を限定しない」生き方ではなかろうか? まるちょうの思うに「曖昧に自分の現状を受け入れる力」って、困難な時代を生き抜くのに必要じゃないかと。希望って、曖昧なほうがいい。いかがでしょうか?(笑) 以上、言葉からインスパイアのコーナーでした。