近況・・よし、描き直すぞ!

真珠の耳飾の少女大人の塗り絵「真珠の耳飾の少女」の続報です。結論から言うと、残念な結果になりました。そして「絵を描くこと」について、いろいろ学ぶことがありました。いろんな感情が、まぜこぜになって苦しかったけど、今はもう大丈夫。決意は固まりました。順序よく語らせてください。

六月下旬ごろ、壁にぶつかっていた。この絵画の主役はもちろん少女なのだが、背景としての「漆黒の闇」は、それなりにこだわるべきだと思っていた。でも、クーピーペンシルでは、どうしても限界がある。粒状というか、粗い黒になってしまうのね。それを「味」として残す手もあったんだけど・・ そのあたりで思考が止まってしまい、作業をいったん中止していた。

ずっと放ったらかしにしていたんだけど、七月初旬にふと閃いた。水溶性の色絵筆が手元にあるので、黒色を水に溶いて、背景をべったり塗ったらどうだろう? その晩、なんか妙に勢いづいてしまって、絵筆もないのに、人差し指の腹で、黒を塗りたくってしまった。結果としては、わりといいかも? 悪くないと思った。そこから、そろそろ仕上げに入ろう・・という感じになった。


微調整をするつもりだった。鼻の輪郭を直す。青いターバンを直す。衣服をもう少し着色する。そして、一番気になっていた左小鼻の下の傷・・これは描き始めに消しゴムをケースに入れたまま使って、紙が「削られた」状態になってしまったのだ。修復しようのない凹凸が、画紙に残った。初歩的な「無知」によって付けられた「傷」は、顔を描くたびに私の胸を痛めた。そうして、今回も「もうちょっと目立たなくできないか?」と、いろいろやってみるも、当然ながら、どんどん画紙の「段差」は目立ってくる。同様の「消しゴムのケースによる、ケアレスな傷」は、おでこや左の頬にもある。ほんま「ああ~」って感じで、切なくなる。

そうした微調整をしている間に、何を思ったか、右の黒目の位置の修正をしようと考え始める。なんか、発作的にというか。その時は、かなり疲れていたかもしれない。動き出した手を止める手だてがなかった。消しゴムで黒目を消そうとする。しかし、黒だから、消えない。薄くなるだけ。ハッと気づいたときにはもう遅い。右眼の黒目は、鮮明さを取り戻せなくなっていた。クーピーペンシルの黒は、けっこう曲者で、重ね塗りには適していない。だから、ファーストタッチならば鮮明な黒が出せるが、一度消して上塗りする場合は、もうダメ。少女のくりっとした瞳は、もう戻ってこない。

真珠の耳飾の少女miss

焦って、あれこれやってみるが、時すでに遅し。一晩寝て、また考えよう。もう何も考えるのが嫌になった。「仕上げのための微調整」が、おかしな風になってしまった。何にしてもそうですが、「鑑賞する」のと「実際にコミットする」のとは、月とすっぽんほどの差がある。自身がコミットすることは、とても苦しいし、重い。もちろん、こんな「大人の塗り絵」なんて、趣味の域を越えるものではないです。妙に重すぎる責務とか、感じる必要もない。ただ、楽しんでやればよいだけ。でも・・やっぱり、自分の胸のどこかに「この作品については、こだわりたい」という欲求があるんだな。静かに自分の心を整理していったら、ひとつの結論にたどり着いた。

というわけで、もう一度この「真珠の耳飾の少女」の塗り絵を、いちからやろうと決意したわけです。いろいろ考えましたよ、もちろん。でもやっぱり、左小鼻の下の傷と右眼が致命的です。フェルメール先生に対して、あるいは、この少女に対して失礼です。というか、もっと正確に言うなら、自分の中で納得できない。残念すぎる。でもこの初めての塗り絵は、私の「処女作」として、しかと保存しておこうと思います。10年後くらいに見返して、ちょっと愛しく思ったりするかもしれない(笑)。

さて、今回の失敗で一番感じたことは・・「絵画はファーストタッチが、いちばん大事」ということ。クーピーペンシルは「消せる色鉛筆」というのがウリ。だからいつの間にか「試行錯誤しても全然OK」という甘い罠に入り込んでしまう。でもやっぱり、絵は感性で描くものです。確かに理屈や計算が入ってくることもあるかもしれない。でも「描く」という行為は、本質的にファーストタッチが大事なんです。直感が大事なんです。そのことが、ずっと理解できていなかった。模写は理屈による部分が大きくなるけど、でも「描いては消し、描いては消し」を繰り返すのは、やっぱりまずい。描画の新鮮さ、素直さが失われる気がする。今回のことで、そのへんがすごく腑に落ちました。



五月から描き始めていたし、けっこうな脱力感です。少し時間を置こうと思います。クーピーペンシルも折れたのやら、置き順もメチャメチャになってるし、いろんなことを、ちゃんとリセットしたいと思います。そうして、八月初旬ごろから、また取りかかりたい。同じ絵を二度描く、というのは、何かへんてこな気もしますが、結局のところ、それがこの絵に対する一番誠実な態度なんだと思う。「真珠の耳飾の少女」という作品へ、とことんコミットすること。それって趣味?とか、からかわれそうだけど、やっぱこの絵、好きなんだもん。いいじゃん、ほっといてよ(笑)。