近況その壱・・偶然は「プレゼント」である

近況をふたつ。長くなったので、二回に分けて書きます。

今回は「偶然って、すごいな~」と思ったことについて。順序よく話しますね。あれは確か、昨年暮れぐらいだったか、外来がわりと少なかったので、iPadで医学書の電子版を物色していた。それほど買うつもりもなかったんだけど、ふと「フローチャート漢方薬治療/新見正則著」という本が目にとまった。なぜ「ピンときた」のかは、今になってみると判然としない。でも確かに「これは買いだ」と思わせる何かがあったんだと思う。値段も手頃なので、その場でお買い上げ☞ダウンロード。電子本って、片手間に買えちゃうところが怖い。でもちょうどその頃、村上春樹の「スプートニクの恋人」を読んでいたので、いったん記憶から消えてしまう。

それから二ヶ月ほど経過したある日、再び外来でiPadをいじっていたら、ふと例の漢方の本が目に留まったのね。「あれ、これ買いっぱなしになってるな~。なんとか時間作って読まないとな」などと、少し悶々とする。私という人間は、積ん読にしかならない本を買うのは一番嫌いだ。(と言いつつ、積ん読も多いんだが) というのも、時間がなくて読めない本がずっと私を恨めしく見ているようで、気が滅入るから。ゆうても50近いオッサンやし、時間も限られてる。しゃーないやん。でも・・読める本は、なんとか読みたい。最初の「熱さ」が冷めないうちに・・


この漢方の本は、題名から分かるように「分かりにくい漢方を極めて簡明に整理した」本なのです。まぁ、初学者のための本ですね。だったら、時間なくても読めるやろ。・・というわけで、二月下旬くらいから「総論だけ少し・・」というつもりで読み始めた。いったん読み始めると、だんだん加速してくる。新見先生、面白い人だな~。すごく惹きつけられた。その流れで、各論もかなり飛ばし読みで、どんどん読んでいく。漢方における「裏技」とでも言うべき事項が、けっこう盛られていて、ところどころで感心。アプリの機能で、アンダーラインなんか引いたりして・・

そうしているうちに、ある思いつきが私の心をとらえた。そうだ、自分用の「第二の漢方」ってないだろうか? 現在、便秘に対して「桃核承気湯」を愛用している。保険では、二種類までは認められているはず。もう一種類、何か適当なのがないか? 私の「証」は「陽実」である。体格がよくて、のぼせやすく、汗かき、太めの筋肉質。そうすると、まず「大柴胡湯」が候補として挙がる。新見先生によると、減量にも効いたそうだ。しかし、桃核承気湯との飲み合わせで「大黄」がダブる。うーん。。 そこへ「なんかよさそう?」という雰囲気を醸し出していたのが「黄連解毒湯」。この漢方は、本書ではちょこちょこ顔を出すけど、まとまって説明はされてない。でも・・なにか引っかかったんだな。手持ちの他の漢方の本で調べてみると、適応としては「易怒、興奮の激しいときの鎮静、のぼせ、不眠症、高血圧」など。イメージとしては、頭に血が上るような興奮状態、不安定状態を沈静化するという感じね。私の躁状態となったとき、一番よくないのが「怒り、興奮による混乱、のぼせ、不眠」なんだな。これ、使えるんじゃない?となったわけ。

朝のヨーガしている時に閃いたもんだから、出勤の電車内でiPadを駆使して上記のチェック事項を確認する。(他の漢方の本も電子化済み) 電車の中で慌ただしくしていたら、もう止まらなくなってきた。もうこうなったら、今日の診療所で出してもらおう。病名は「高血圧」だな。別にウソじゃないし。さて・・順序が逆になりました。これ、三月中旬の頃なんですね。実を言うと、三月上旬は躁うつのサイクルに入ってしまって、結構苦しんでいました。特に「躁とうつの混合(こういう状態があるんです)」の状態になると、薬物ではなかなか難しい。仕事はできるし、日常生活まずまずなんだけど、一番困るのは不眠かな。良眠はなくなる。こうした時の一番の「処方箋」は、有酸素運動だと思っています。でも、このときはそれでもうまくいかなかった。

そうした状況の中、件の「黄連解毒湯」が手に入ったのです。仕事から帰ったら、一包すぐに飲みました。するとどうでしょう! あのカオスのような「躁とうつの混合状態」が解除されたではありませんか!(詳細は記しませんが・・) 寝る前にも一包飲み、その晩は良眠が得られた。正直、感嘆するしかなかった。抗躁剤には、リーマスやデパケンを服用しています。でも、黄連解毒湯は、そうした西洋の抗躁剤とは別なふうに「躁状態」を抑えてくれる気がする。リーマスやデパケンは眠くなって意欲が落ちるけど、黄連解毒湯はそれほど落ちない。むしろ意識がクリアになっていく印象すらある。いや、面白いな~ おかげさまで、今は自分の健康状態を維持するためのツールがひとつ増えた感じです。かなり強いストレスがかかった時でも、黄連解毒湯を一日三服飲めば、それほどの波にならない。本当に心強い味方。この漢方との出会いは、まさに千載一遇といった趣ですね。

最後に。人には運命というものがある。必然、論理、欲望、意志、いろいろあるだろう。でも・・偶然というのは、どうしたって避けられない。その一方で、現代は高度情報化社会である。人のゲノム解析も完了した。出生前診断で、少しでもリスクがあれば、命が消去される時代だ。こうした動きは、すべて「必然を勝ち取って安心したい」という心理があると思う。私はこういうの、あまり好きじゃない。偶然という「横風」に吹かれながら、自分の行きたい道(必然、欲望、意志など)を進む。人生って、こういうもんじゃないかしら。偶然は友だちである。排除してはいけない。

上記の「第二の漢方」を発見するまでのプロセスで、いくつかの偶然が重なっている。「運命を引き寄せる」ためには、そうした「よい偶然」を嗅ぎ分ける直観が必要だと思う。論理的でない力というか、霊感というか。「ここには何かある」という臭いがしたら、そこに突っ込んでいくという行動力って、大事だと思います。私は無宗教ですが「目には見えない大きなもの」を尊重するという立場です。偶然という「天からのプレゼント」を活かせたら、素晴らしいなと思ったのでした。