道・・「人間交差点」より

「漫画でBlog」のコーナー! いつものように、お気に入りの短編漫画をネタに、ちょっとBlog書いてみたい。今回は「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」より「道」という作品をピックアップしてみる。「何かを背負って」生きることについて、描いてあります。まずはあらすじから。

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ビル建設の高所で、鉄骨に座り、向かい合って昼飯を食べる初老の男(徳さん)と、若い男(まこと)。ある年齢まで真剣に、まことは自分がプールから生まれたのだと思っていた。幼少時、徳さんにプールの前で「人間ってのはな、水の中から生まれるんだ。親も子もねえ、生まれた後は、自分一人で食う物を確保しなきゃいけねえんだ」と諭されたのだ。

それ以来、見よう見まねで、必死にとび職の仕事を覚えていくまこと。気がつくと、まことと徳さんはいつも一本の鉄骨の上に立っていた。やがて女の買い方も教わる。立派な青年、一人前のとび職人となっていくまこと。その一方で、年老いて、足腰の衰えが目立つようになった徳さん。まことは、徳さんの足の運びを見ていて、そろそろ限界だと思っている。徳さんはひとことも言わないが、まことは次のような隠された因縁に、すでに気づいている。

昔、徳さんは、ある飲み屋の女将といい仲だった。女将は結婚を望んだが、徳さんは望まなかった。そして女将は違う男と結婚するために、徳さんとの間にできた子供、つまりまことが邪魔になり捨てたのだ。徳さんは親子関係を隠して、まことを育て上げた。

 

ある日、いつものように鉄骨の上で昼飯を食いながら、まことが切り出す。

53「この鉄骨を渡って生きていくには、ひとつぐらい温かいものを背負わなきゃいけないんだ。あんた、俺がいなかったら、その年まではこの仕事続けるの無理だったぜ」「おまえ、俺がおまえのためにこの仕事続けてきたなんて、本気で考えているのか? バカ言ってんじゃねえぞ」「引退して俺の世話になれよ。ひとつくらい俺にも、温かいもの背負わせてもいいだろう」

無言で弁当箱のメシを食べる徳さん。その目からは涙がこぼれる。大都会を見渡す高所にある太い鉄骨の上。弁当を挟んで、ふたり静かに座り、たたずむ。

とび職って「男らしい」仕事だと思う。なぜって、鉄骨の上を歩いている時は「独り」でなくてはならないから。何も思い出さず、何も背負わずに、あの細い鉄の道を行き来する。それは「次の瞬間に来るかもしれない死」を怖れないため。雑念やつながり、温かさ、感傷、すべて、鉄骨の上を歩くのには邪魔だ。要するに男の仕事には、鋼(はがね)の心が必要なのである。徳さんの哲学は、そういうことだと思う。だからこそ、かつて愛し合った女将とも結婚しなかった。家庭という「温かいもの」を、意図的に避けたのだ。簡単に言えば、女よりも仕事を取ったのだ。

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女の心情を考えてほしい。わが子を引き取れなかったという深い悔恨、無念。大人の事情とはいえ、それはあんまりだ。男は女を一度は突き放したが、自分なりの筋はとおす。つまり、まことを連れて、女将のいる飲み屋に行く。そうして、まことの成長ぶりをちゃんと伝えるのだ。もちろんそこに、親子としての言葉はない。あるのは他人のふりをした徳さんと女将。そして、何も知らないまこと。徳さんは、確かに仕事を選んだ。でも、女将の辛い心情は、誰よりも解っていたと思うのね。だからこそ、無骨なやり方で、女に示し続けたのだ。暗黙のうちに「ほら、まことはこんなに大きくなったぞ」と。

男の背負っていたもの、それは・・・
温かさだった、時間の流れだった。

このフレーズ、しぶいね。矢島正雄のいい仕事。「温かさ」は、なんとなく分かる。「時間の流れ」とは? まるちょうはこう思うのね。つまり、まことが成長して一人前になるまでは、自分はなんとしても現役で頑張らなければならない。それをちゃんと女将に示すことが、自分の務めであると。もちろん徳さんがこんなふうに意識していたわけではない。30飲み屋に行ったとき、厨房の隅で泣いていた女将。その時の徳さんの「特別な」表情を目の当たりにして、まことが「時の流れという重さ」を感じ取ったのだ。

人間、誰しも「業」というものを背負っている。徳さんは、とび職という仕事のために、女将との関係、そしてまことの人生を犠牲にした。でも・・徳さんは、自分なりの「スジ」を通すことにより、自分の「業」から逃げなかった。「業」というものに、ふと考えの及ぶ人は、よい人生を送れるんじゃないかな。

女将は二年前に亡くなり、まことも立派なとび職人に成長した。徳さんが最近、足の運びが危うくなってきたのも「背負うべき何か」が無くなってしまったからだ。

あんた、俺がいなかったら、その年まではこの仕事続けるの無理だったぜ

10このまことの言葉は、ずばり核心をついている。ひとつぐらい温かいものを背負わなきゃ、生きていけない。一般論になりますが・・ 家庭を持っているか、いないか。家庭を持てば持ったで、いろいろな困難が待ち受けている。でも・・ 純粋に自分のためだけに働くとしたら、たぶんそれほど働けないだろうと思う。自分をとりまく束縛、屈折、疵、なんでもいい。仕事をつづける上で、そういう「一見」ネガティブなものって、必要だと思う。ネガティブっていうかな、ケツを叩くものっていうか。

「自分のため」って、けっこう頼りないんだな。「誰かのため」となると、わりと頑張れちゃう。もちろんそれは「愛する誰か」なんだけどね。でも・・人間いっぱんに「誰かの役に立てる」というのは、僥倖なんじゃないかな? 人の縁というのは、人間に思わぬ力を与えてくれる。徳さんは、冷たいようでいて、無意識のうちに「背負っていた」んだな。俺は背負わないといいつつ「身体が自然と背負ってしまう」という人は、格好いいと思う。22まことに「引退して俺の世話になれよ」と言われた時、徳さんは背負っていた「重いもの」を降ろせたんだな。最後の徳さんの涙は、安堵がいちばんじゃないかしら。ラストで高所の鉄骨という戦場が、安らぎの場所へ変貌するのが素敵だと思う。以上「漫画でBlog」のコーナーでした。