十はいらない、八でいい(+1)

「言葉からインスパイア」のコーナー! 今回は将棋の名言をネタに、軽めに語ってみる。前回のBlogが作り込んだやつだったので、今回は軽めで。

十はいらない、八でいい

(大山康晴)
将棋において、あるいは勝負事において、常に「相手」がいることを忘れてはならない。ひとつの試合で、オフェンスばっかりで勝てることなんて、まずない。どこかでディフェンスに回らざるを得なくなる。こういう「攻防の反動」というのは、勝負において常に頭に置いておくべきである。つまり「攻めすぎると、次の瞬間に相手から強い攻めが返ってくる」ということね。攻めすぎることによって、スキができるというか。ボクシングのカウンター・パンチなんかそうだよね。

「AかBか」という局面で、いずれにも属さないふりをできる人が、一番強いんだと思う。大山さんは、指し手の意図を相手に悟らせない名人だった。相手は、いぶかしみながら攻めていくんだけど、いつの間にか大山さんの仕掛けた罠にはまっている。気づいた時には網の中である。戦略という意味では、常に「正体不明」が一番強いのだ。心理的な効果も、大いに期待できる。


「八分の力」とはよく言ったものだけど、これを実践するのは並大抵ではない。「わかっちゃいるけどやめられない~♪」というフレーズが浮かぶ。若い頃はいいわいな。不惑の40歳を過ぎてもその境地というのは、ちょっと情けない気もする。「ノルウェイの森/村上春樹作」の中で永沢さんがつぶやく一言。

自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ
若いうちは「やりたいことを、とことんやる」というスタンスでいいと思う。ただ、オッサンになったら、その姿勢ではいろいろ辛いんですよ。特に健康面でダメだろうな。どうしたって「中庸」という考え方が必要になってくる。足らないところを補う。やるべきことを考えて、バランスを保つ。それこそが紳士。十やっちゃうのは、ハナタレ少年に過ぎない。

大山さんの言葉の根っこには「人生には断念が必要である」という深くて重い教えがあると思う。やりたいことをしている中で、どこかで「ブレーキをかける自分」がいた方がいいということ。自分をいかに客観視できるか。そして、曖昧さにどれだけ耐えられるか。個人的に、曖昧さを尊重できる人って、品格があると思えます。



なんのために将棋を指すかは、

70歳になってから考えたい

(羽生善治)
中国の思想家、孔子は「五十にして天命を知る」と言った。村上春樹は「30歳成人説」を唱える。更にまた鷲田小彌太という哲学者は「35歳までが春、36歳~55歳が夏、56歳~75歳が秋、76歳以上が冬」と述べる。順調な青年期をすぎたとして、22歳。社会に出るにあたって「自分が本当に何をしたいのか」なんて、普通わかりっこない。いつも思うんだけど、いわゆる成人式って意味あんのかよ? 昭和初期のころの20歳なら「成人」と呼べたのかもしれない。でも・・平成の20歳って、どうみても子供だよ。これは複雑化した社会、価値観の多様化という時代のせいだ。人間そのもののせいじゃない。スティーブ・ジョブズだって、20歳で「自分が何になりたいのか」なんて分かんなかったんだから。

ただ、棋士という職業は、早熟でないと務まらない。大棋士と呼ばれるような人はみな、若年(中学生とか)でプロ棋士になっている。プロ棋士になって、みなが目標にするのは「名人、竜王になること」だろう。しかし、である。名人や竜王になれる人は、ほんの一握りだ。というか、そういったタイトル保持者でも、いずれ「老い」がやってくる。第一線からは退くこととなる。でも・・粘り強く棋士として将棋を指しつづける人はいる。このとき、まさにこのときに、上記の言葉が発生するのだ。「タイトル云々でなく、なぜ自分は将棋を指すのだ?」という問い。

逆に、この「問い」があるうちは、現役でいられるんだと思う。有吉道夫九段(78歳)、加藤一二三九段(74歳)などが好例だろう。もちろん勝つために指すんだけど、すでにタイトルとかそういうんじゃない。それはたぶん、目に見えないもの。言葉にしにくいもの。・・たぶん、それは「将棋への愛」じゃないかしら。純粋に愛するからこそ、指していて幸せなのね。こうした「世俗から離れた」熱さを持たないと、70歳をすぎてまで棋士は続けられないと思う。だって、圧倒的に負ける方が多くなるんだから。したがって羽生さんの言葉は、そうした老棋士への敬意に他ならない。

最後に。○○歳でなになにしろ、というのは、結局のところ意味がないと思う。ぶっちゃけ、それは各人が自分で考えてプランするものだ。ただ「20歳で成人」というのは、どう考えてもおかしいとは思うけど。上記の70代で棋士という看板を降ろさない漢(おとこ)たちは、まだ俺は「秋」だと思ってるんじゃないかしら。少なくとも「冬」にはなってない。さすがに「夏」じゃないと思うけどね(笑)。私自身は、鷲田さんの「36歳~55歳が夏」という説は、ちょっと気に入っています。以上、将棋の名言をネタに、少し語ってみました。