「言葉からインスパイア」のコーナー! 今回は将棋の名言をネタに、軽めに語ってみる。前回のBlogが作り込んだやつだったので、今回は軽めで。
(大山康晴)
「AかBか」という局面で、いずれにも属さないふりをできる人が、一番強いんだと思う。大山さんは、指し手の意図を相手に悟らせない名人だった。相手は、いぶかしみながら攻めていくんだけど、いつの間にか大山さんの仕掛けた罠にはまっている。気づいた時には網の中である。戦略という意味では、常に「正体不明」が一番強いのだ。心理的な効果も、大いに期待できる。
「八分の力」とはよく言ったものだけど、これを実践するのは並大抵ではない。「わかっちゃいるけどやめられない~♪」というフレーズが浮かぶ。若い頃はいいわいな。不惑の40歳を過ぎてもその境地というのは、ちょっと情けない気もする。「ノルウェイの森/村上春樹作」の中で永沢さんがつぶやく一言。
大山さんの言葉の根っこには「人生には断念が必要である」という深くて重い教えがあると思う。やりたいことをしている中で、どこかで「ブレーキをかける自分」がいた方がいいということ。自分をいかに客観視できるか。そして、曖昧さにどれだけ耐えられるか。個人的に、曖昧さを尊重できる人って、品格があると思えます。
70歳になってから考えたい
(羽生善治)
ただ、棋士という職業は、早熟でないと務まらない。大棋士と呼ばれるような人はみな、若年(中学生とか)でプロ棋士になっている。プロ棋士になって、みなが目標にするのは「名人、竜王になること」だろう。しかし、である。名人や竜王になれる人は、ほんの一握りだ。というか、そういったタイトル保持者でも、いずれ「老い」がやってくる。第一線からは退くこととなる。でも・・粘り強く棋士として将棋を指しつづける人はいる。このとき、まさにこのときに、上記の言葉が発生するのだ。「タイトル云々でなく、なぜ自分は将棋を指すのだ?」という問い。
逆に、この「問い」があるうちは、現役でいられるんだと思う。有吉道夫九段(78歳)、加藤一二三九段(74歳)などが好例だろう。もちろん勝つために指すんだけど、すでにタイトルとかそういうんじゃない。それはたぶん、目に見えないもの。言葉にしにくいもの。・・たぶん、それは「将棋への愛」じゃないかしら。純粋に愛するからこそ、指していて幸せなのね。こうした「世俗から離れた」熱さを持たないと、70歳をすぎてまで棋士は続けられないと思う。だって、圧倒的に負ける方が多くなるんだから。したがって羽生さんの言葉は、そうした老棋士への敬意に他ならない。
最後に。○○歳でなになにしろ、というのは、結局のところ意味がないと思う。ぶっちゃけ、それは各人が自分で考えてプランするものだ。ただ「20歳で成人」というのは、どう考えてもおかしいとは思うけど。上記の70代で棋士という看板を降ろさない漢(おとこ)たちは、まだ俺は「秋」だと思ってるんじゃないかしら。少なくとも「冬」にはなってない。さすがに「夏」じゃないと思うけどね(笑)。私自身は、鷲田さんの「36歳~55歳が夏」という説は、ちょっと気に入っています。以上、将棋の名言をネタに、少し語ってみました。
話が少し違うかもしれませんが、人を叱るときにも10叱っちゃいかんみたいです。
8叱って、逃げ道をあけておくのが肝要とか。
コーナーに追い詰めて、ぼこぼこに殴ると、最後の最後には相手は死力を尽くして反撃に来ます。
これを正面から受けると、自分にもダメージが来ます。
そこそこ殴って、相手が体力を失ったら、「リリースする」これが大事なのかと思います。
おそらく将棋でもそういうことがあるのではないかと愚考いたします。
ちなみに私の以前の上司(故人)はこれができる人でした。
これができず、ぼこぼこに殴った後でまだ馬乗りになって殴ろうとする人間には人はついてこないんです。
なかなか難しいバランスで、まるちょう氏はこういうのが苦手だと思いますが、私にもできないんです。
頭ではわかっているんだけどね。
そして海よりも深い優しさでもいけない。
世の中、バランスが必要ですがそれがよくわかるようになるのには時間が必要なのかもしれません。
そのうち死んでしまいます・・・。(^^;;
> カバ先生
そうですね。
一番優秀な勝ち方は、やはり「無血勝利」です。
戦わずに勝つ。究極の戦い方ですね。
私なんか、戦う前に負けてること多いけどね。
☞ 無血敗北。俺の人生、そんなもの。
冗談はさておき、対人関係は難しい。
ぼこぼこに殴ったら、そらついてきませんわ。
僕なんか、ホント恐怖ですよ。>対人
電話なんか、ほんとびくびくしながらやっています。
バランスでしょうけど、僕の場合、対人恐怖は
そうそう治らないんじゃないかな。
それほど、大きく心は傷ついています。
でも、生きていかなければならない。
生きるということは、自分との闘いです。
仕事をするということは、常に自分との闘いです。
闘わなければ、呑み込まれる。不安に、緊張に、いらだちに。
仕事って、そういう意味では「友だち」じゃなく「先生」です。
八分を保つっていうのも、自分が固定したら終わりです。
自分が動き続けるから、八分が保てるんです。
長くなりそうなので、このへんで切りますね。