文章を一晩寝かせることについて

村上さんのQ&Aのコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、自分なりに考えてみたい。

<質問>25歳、女性、独身、会社員、B型の**と申します。村上さんは、よく「書いたメールを一晩寝かす」ということを仰ってますが、私は書いたメールを一晩寝かせてから読み返すと、恥ずかしくなって殆ど書き直すくらい直してしまい、その結果ひどく形式張って無味乾燥な文章になってしまいます。最初に書いた文が持っていた勢いや瑞々しさが、訂正することで損なわれてしまう気がするのです。

寝かせて訂正しても、文を損なわないためには鍛錬が必要なのでしょうか? 昔のように手紙だったら、封をして投函しちゃえば「はい、おしまい」っていう雰囲気があったと思います。何より自筆だからこそ伝わる文以外の何かってありますよね。手紙を書くほどでもなく、電話するほどの用事でもない知り合いと友好関係を保つためにもメールは大事なコミュニケーション手段なので、何とかしたいものです。

<村上さんの回答>あなたの言いたいことはよくわかるのですが、でも書き直したら「道徳的で形式張って無味乾燥になる」というのは、考え方として(あるいは表現として)いささか一面的に過ぎるんじゃないかと僕は思います。寝かせて書き直しても、そうはならない人だって、世の中にはいっぱいいます。

僕が言いたいのは、うまい文章を書けということじゃなくて、誤解をうんだり、真意を伝え損なう可能性を、なるべくならチェックしたほうがいいということです。文章ってやっぱり怖いですよ。それは体験しないとわからないことです。(中略)メールの中には「もうちょっとわかりやすく書いてほしいなあ」と思うものもなくはありません。それは文章のうまい下手とはちょっとべつのことなんです。

<まるちょうの考察>メールにおける文章チェックは、村上さんのおっしゃる通り、誤解を生まないように文章を訂正するということです。いわゆる「上手に」書く必要なんてない。曖昧さをできるだけ避けて、相手に読みやすいように、分かりやすいように書く。それがメールにおける文章チェックの基本だと思います。これらは全て「相手への思いやり」という姿勢に還元される。

私はこうしてBlogという形態で文章を書いています。「文章の書き直し」を気の利いた言葉で表現すると「推敲」という言葉に行き当たる。念のため解説すると、これは中国の故事にちなんだ言葉で「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」です。質問者の言うような「推敲して文の価値が下がる」という現象はあり得るだろうか? 少なくとも個人的には、ないと思います。推敲とは、あくまでも文章の質を上げていくものです。

推敲を村上さん流に表現すると「ひととおり書いた文章を一晩寝かせる」ということになります。「一晩寝かせる」効果について、ちょっと考えてみる。書いてる最中って、テンションが上がった状態で書いてます。でも、一晩すぎると頭のギアはニュートラルに戻っている。一晩寝かせた文章を読むということは「熱く書いたものを、冷やして味わう」という趣があります。冷製パスタみたいね(笑)。自分の主観からやや遠くなった「昨日の文章」を、距離をおいて眺める。そうすると、昨日の「向こう見ずな熱さ」からくる注意不足、曖昧さ、思いやりの不足などが浮き彫りになるわけです。

さて、推敲というプロセスは、まるちょうにとって「快楽」でさえあります。「昨日の熱さ」を眺めつつ微笑むみたいな、あるいは「ほう、こんなん書いてるわ」みたいな、そうした確認がとても好きです。結局のところ、反芻するのが大好きなんだろうな。反芻動物(笑)。そして、昨日には思いつかなかった「気の利いた言葉や言い回し」が浮かんだときの喜びといったら! 私はそうした頭の回転が遅いんです。でも・・時間をかけると、それなりの収穫があるんです。なんたって、反芻動物が冷製パスタ食ってるみたいなもんだから(←ようわからんw)。しゃべるのは得意でないけど、時間をかけて文章という形で自分を表現すると、ちょうどいい具合にアウトプットできる。推敲する(=表現を十分に吟味して楽しむ)ことが、自分にとっては大切な時間なんだと思う。

最後に。どれだけ推敲しても「読み手への思いやり」を欠いたら、それは「よい文章」とは言えない。文章って、結局だれかに読んでほしいから書くんです。独りよがりは、厳として慎まなければならない。そういう意味で「読み手へのサーヴィス」という姿勢は決して崩してはいけない。これはメールでも小説でも同じです。村上さんの著作は、いつも「読み手への配慮」が尽くされていると思う。だからこそ、読み手は安心して読めるわけです。私も文章を書く端くれとして、そのことだけは、これからも気をつけようと思います。以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。