最近、二回ほど大学同期の友人(みな野郎w)と飲む機会があった。特に耳鼻科のO先生とか整形外科のT先生などは、本当に久しぶりで、けっこう緊張した。どちらもわりといい時間を過ごせたと思っている。O先生、T先生、H先生、T先生、本当にありがとうございます。この場を借りて、御礼申し上げます。でも、今回は近況ネタじゃないんです。あえて「お題を決めて語る」で行ってみたい。すんません、よろしくお願いします。
実は二回とも、帰宅してから、ちょっと違和感が残ったんです。この「違和感」は五月に高校の同級生Mくんと飲んだときも感じた。違和感というか「気づき」かな。具体的に言うと、帰宅してお蝶夫人♪に「どうだった?」と訊かれても、特に何もないんです。もちろん、表情とか話し方とか、どれだけ飲んだとか、そういうのはある。でも会話の内容としては、それほど突っ込んだ話はしていない。「突っ込んだ」というのをもっと詳しく言うと、愚痴や悩みなど。そうした「深い話」は、ほとんどなかったと思う。いや、ほのめかす程度はあったかな。お蝶夫人♪曰く「女はもっともっと深いところまで入り込むよ」と。愚痴や悩み、そして誰かの悪口を吐き出しあって、すっきりするというわけ。いやいや、そんなんないわ~
では、俺と飲んだ野郎どもの頭の中は、どうなっていたのか? みんなそれぞれに「吐き出してしまいたい悩み」とか、あると思うよ。でも、みなさん耐えているように見えた。もちろん久しぶりに会った人間に、そんなに深い話もできない。でも、直観的に「男女の性差」を感じたんです。論理じゃなく、あくまでも直観でね。前振り長くなりました。今回は「会話における男女の違いについて」と題して書いてみます。
ずっと昔にラジオ英会話で勉強しているときに、次のようなことがテキストに書かれていたのを覚えている。とても印象的なセンテンスだったので。
on the other hand,
women use conversation in order to seek intimacy.
上記の「思想」の源流を調べてみた。米国の言語学者デボラ・タネンが1990年に書いた「You just don’t understand: women and men in conversation」という著作に行き当たる。米国でベストセラーになり、邦訳もされている(右リンク参照)。邦訳はキャスターの田丸美寿々さんが三度担当されている。相当に思い入れがあるみたい。
こうして分かったことが、ひとつあります。私まるちょうは、会話(というか対人関係全般)において、かなり女性が入っているということ。「世界はつながっている」と、どこかで信じている。これ、確かにホント。問題に対して、共感や慰め、安息を求めやすい。問題の解決を出すよりも、そうした「場の雰囲気」を尊重する。支援を求めたり、与えたりということを、どこかで期待している。会話において、どこか「おばちゃん的」な面があるのね。これ、すごい発見でした。
だから、野郎同士の飲み会で「話すべきこと、話すべきでないこと」の基準が、他の人と違うんだね。飲み会が終わるたびに、いつもなんとなく違和感を持っていた。今回こうして文章を書くことで、ある程度の理解が出来ました。でもなんだね、診療においては、こうした女性的なアプローチは「ラポール形成」には有利だろうね。もちろん、問題をしかと解決しようという男性的なアプローチがなくては、医療は成り立たないんだけど。結局のところ、優れた医療者というのは、どちらのアプローチもしなやかに使い分けることができる人だろう。スイッチの入れ替えが柔軟というかね。
最後に。飲みに付き合っていただいたみなさまへ。実際にお会いして、その表情や頭髪、話し方、笑い方、仕草、体型etc… そうした視覚的な情報が、まるちょうにとっては宝です。そうしたことを久しぶりに確認できるという僥倖。本当にありがたく思います。ぶっちゃけ、その場の雰囲気を掛け値なく楽しめればいいよね。こんなしょうもない文章書きましたが、懲りることなく、また飲み会に誘って下さい。よろしくお願いします。m(_ _)m 以上、お題を決めて語るのコーナーでした。