大人・・「人間交差点」より

漫画でBlogのコーナー! お気に入りの短編漫画をネタに、ちょっち文章書いてみたい。今回は「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」より「大人」をチョイス。「暴力の不思議さ」について描いた作品です。まずは、あらすじから。

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まず冒頭に、泣きながら娘を殴る父。そのそばを、はためくかげろう一匹。

一人の女教師が、自分の荒れた15歳の頃を回想する。そこへ現れるワルな学生一人。「先公、いい度胸じゃねえか。本当に来るとは思わなかったぜ、ククク・・」 女教師は有無をいわさず、その不良学生に体当たりする。棒切れを振りかざし、容赦なく学生を叩きのめす女教師。「く、くそったれが!」学生はチェーンを取り出して反攻する。激しく殴り合い、血を流す二人。

57女教師の青春は、荒れ果てたものだった。幼少期に両親が離婚。一瞬のうちに、この世が消滅するようなショックだった。途方もなく荒れていく娘に対して、教師である父は何も言えなかった。15歳で万引きしたときに、父は叱ろうとして、娘を人気の少ない公園へ呼び出す。汚い言葉を吐いて、木の上の虫を容赦なく叩き潰す娘。それを見て父の中で何かが弾ける。娘の手をつかんで、やにわに娘を殴る父。娘を組み敷いて、思い切り娘の顔面を殴り続ける父。娘はなぜか全く抵抗しない。娘は父の目に涙があふれ流れているのを、ぼんやり見ていた。



56さて、現在に戻って、女教師と生徒。ズタズタのボロボロになった二人。生徒は「もういいって!」「冗談じゃないわよ、あんたがよくたって、私は納得できないわね。ホラ、立て!」「何だよ、あんた・・ あ、頭おかしいんじゃねえのか?」「私もあんたと同じで、どうしてこんなバカなことしてるか、わかんないの。ただ無性に腹が立つのよ」 ペッと吐き捨てた血に混じって、折れた歯が転がる。それを見て、ハッとする生徒。33「どんなイヤなことがあってグレたのか知らないけど、そろそろ男に脱皮して、それを乗り超える為に与えられた命を燃やしてもいいんじゃないの」 生徒は震えて、泣き出す。「泣くなバカヤロー、男だろ」「は、はい」 最後は、打ち解けた二人が校庭を歩いていく姿でエンド。

本作は、暴力という不思議な「コミュニケーション」について、雄弁に語る。暴力って、基本あってはならない。だって、思考停止の象徴だから。力で論理や美や絆を蹂躙していく。でもその一方で、長い人生のどこかで「暴力を行使できるかどうか」試される瞬間がある。これは良い悪いじゃなくて、現実としてね。暴力でしか「伝わらない」瞬間って、絶対あると思うんです。

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不良少女がつぶやく「馬鹿ヤローがよ、十日も生きられねえのに出てくんじゃないよ」と木の虫を踏み潰す。「もう大人、親だからってつべこべ言えない年になりました。驚いたかい、この野郎!!」憎まれ口を叩く15歳の少女。父曰く「かげろうは三時間だ・・一生がたったの三時間だ」と。この後、ちょっとやりとりがあって、父の拳骨が飛ぶ。矢島正雄の「言霊」を載っけておく。



失うことで、見つかるものもあるとすれば

生命(いのち)の長さは皆等しい

あきらめたのではない 

やり直すために時間はある 乗り超えるために生命がある


思うにこの父親は、この外道へ堕ちていく娘のことを、本当に愛おしく思い、そして不憫に思っていたはず。だからこそ、15歳まで手を出さなかった。いや、出せなかった。温厚で真面目な父は、しかし、娘の中の「破壊したくて止まない獣の本性」に戦慄した。ようやく「これはいけない!」と気づいたのね。48これは論理ではなく、本能で。根源的な怒り、神の怒り。

この時に流れた父の涙は、もちろん娘への愛しさからだ。でも、愛しいから殴るのだ。哀しい暴力だけど、今殴らなければ、いつ殴るの? まさに決死の覚悟で父は殴ったのだ。ここには、まごうことなき「誠意」がある。娘は無意識の中で、父のそうした「死ぬ気の誠意」を待っていたと思う。試すというかね。「思い切り殴られるのを、望んでいたのかも知れない」とある。哀しい暴力、でも、始まりの暴力。

最後にまとめ。暴力について私見を述べます。映画人、北野武は多くの作品を通じて「暴力から目を背けないこと、忌避しないこと」を主張する。諸説あると思うが、私は北野武の主張に共感するところが多い。おおっぴらに言いにくいことを、映画という表現手法において、しかと昇華している。

22「この世に暴力はあるまじき」という教訓を、単なる「平和ボケ」と履き違えている人の、なんと多いことよ。長い人生の中で「狂気に立ち向かわざるを得ないとき」は、いつかやってくる。だって、この世の中、狂気なんてざらだよ。有事に「自分にとって大切なもの」をちゃんと護れるかどうか。暴力を棄てるのは、ある意味、人間の尊厳を放棄することだ。平静な理性の後ろに、密かに暴力性を培うことは、生きていく上で罪でもなんでもない。もちろん、暴力で弱きものを蹂躙することは犯罪でしかないけど、理外の理として「毒を以て毒を制する」という場面は、いつか訪れるのだから。逆に言えば、それほど人生という道のりは、奇妙なのである。最後は格好つけました、すんません。以上、漫画でBlogのコーナーでした。