なんで音楽聴くねん?

お題を決めて語るコーナー! 今回は「なんで音楽聴くねん?」と題して、ちょっち文章書いてみたい。まるちょうは無類の音楽好きです。一種の病気かもしれない(笑)。これだけ聴いてると、ある種の「こだわり」ができてくる。そのへんについて、自分なりにまとめておきたい。

まず言えるのは「音楽を実用的に聴いている」こと。つまり、BGM的にね。例えば心電図を読んでいる時はモーツァルト、Blog書く時は癒し系ジャズ、ジムでのウォーキングの時はポップスやヒップホップなど。作業していない時も、各々の精神状況に合わせた音楽を聴く。疲れている時はヒーリング系の音楽、開放的な時はちょっとうるさめの音楽。いつも音楽のチョイスは「現時点での自分の内面」と照らし合わせて行っている。もし極限に疲れているなら、あえて聴きません。そういう選択肢もちゃんとあります。

こうした「音楽のチョイス」は、もちろん相乗効果を狙っています。作業や精神状況と音楽がかみ合った時の「ケミストリー」って、素晴らしいですよ。ホント「1+1=3」という魔法が可能です。ただし「どういう状況にどういう音楽?」という判断は、結局のところ経験論になります。つまり試行錯誤をいとわない、それこそ「音楽への飽くなき執着心」が必要。自分の感性にいちいち照らし合わせて「この状況には、この音楽」というチョイスを、細々と決めていく。このプロセスの根底には、ずばり快楽主義があると思っています。だって「心地よさの追求」に他ならないからね。


まるちょうは、音楽に「癒し」を求めている場合が多い。やはり、ストレスを感じやすい人間なんだろうか。妻からは「あなたはのほほんと生きていて、ストレスとは無縁」とか言うけど(笑)。マックスで疲れている時は、大江光を聴きます。大江光の音楽って、無垢で淡々としていて、ある意味で「退屈」という感想を持たれる人もいるようだ。あえて言うなら「悪魔の棲んでいない音楽」だろうか? 人は音楽に棲んでいる「悪魔」に惹かれる。一種の誘惑に似ているかな。でも大江光の音楽は、そうした「麻薬のような依存性」は皆無である。でも・・個人的には、大江光じゃないとダメな場面が、確実に存在します。具体的には、ネット将棋で負けて疲れ果てたとき、あるいは眠剤が残っていて頭が重い出勤時など。つまり、頭の活動が鈍いが、ポテンシャルは低くなく、次の活動へつなげて行きたい時かな。彼の音楽の「優しさ」は、類がないと思う。「セーフティーネット的な癒し」とでも言うか。長い音楽遍歴の中で、彼の音楽が残ってきたのは、ずばり「実用的」だからです。結局のところ、彼の音楽には「本物の美」が潜んでいるんだと思う。

まるちょうは、音楽を「食事のように」聴きます。つまりバランスを重視する。肉も食べれば野菜も食べる、みたいな。一日あたり、できるだけいろんな種類の音楽を聴きたい。「口に苦い」ような音楽も、しばらくは辛抱強く聴いてみる。あるでしょ?世間で評価が高いのに、聴いてみるとそれほどでもない音楽。そうした場合、自分の音楽脳に欠けている何かがあると謙虚に受け止める。やがて「初めは口に苦かった」音楽が、心地よく聴こえてくる。あるいは、それを聴くべきシーンが明確になってくる。一番もったいないのは、やはり「食わず嫌い」。モーツァルトがちょうどそれ。クラシック自体、それほど聴かないんだけど、映画「アマデウス」を観てからちょっと気になったのね。ベスト盤を入手して、書棚で数年熟成したあと、ようよう聴き始めた。ふと、心電図を読む作業中に聴いてみたらどうかな?と思って、やってみると、あら不思議。読むスピードも上がるし、疲労もやや軽くなる。そこから断然、モーツァルトにハマった。例えば、ベートーベンとかマーラーでは、心電図読影のBGMとしては重いし存在感がありすぎる。たぶんうるさい。モーツァルトは「天上の音楽」と言われるけど、独特の軽さ、柔らかさがあり、ノリがある。実感として「覚醒を促す作用」があるように思っている。「カオスからコスモスへ」と導く音楽・・まで言っちゃうと、言いすぎかな?(笑)

「食わず嫌い」といえば、マイルス・デイヴィスも、ずっと苦手だった。「クールの誕生」から入っちゃったからね。何がいいの?って感じで。青二才が対峙するには、彼の作品群って膨大すぎる。どこをどう入っていけばいいのか、途方にくれてしまう。やっと数年前に「あ、マイルスって、意外といいな」と感じられる瞬間があった。マイルスが俺に門戸を開いてくれた瞬間。彼については、まだ端緒についたばかりです。できれば、自伝なども含めて関わって行きたい。彼の生き方そのものが、お手本だと思うし。最近のお気に入りは「いつか王子様が」。このへんから入ればよかったな~ やっぱ、ミュートで朗々と、がいいよね。

音楽を気持ちよく聴けるなら、体調は悪くない。これ、出勤時にはけっこう大切な感覚です。例えば・・今朝は頭も重いし、イマイチ元気がない。ポップスは聴く気がしない。大江光でも聴くかな・・ お、心地よく耳に入ってくる ☞ これは、体調が悪くない証拠なのです。その朝に適した音楽が、ちゃんと違和感なく耳に入ってくるようなら、その日は基本、安泰なのです。逆に、どの音楽を聴いてもうるさい、となると「要警戒レベル」ですね。そんな朝は、電車内で音楽を聴かずに目をつぶって、エネルギーを無駄に使わない。これから始まる一日の青写真として、大きなミスをしないこと、できるだけ自分をコントロールすること・・などなど、自分に対して訓戒する。つまり、音楽を聴くことで、その日の体調を測ることができるわけです。

以上、とりとめもなく音楽を聴くことについて、書いてみました。まとまりのない文章で、すんません。音楽の世界は広くて深い。限りある人生の中で、出逢える音楽は、たった一部。これからも出逢いを求めて、たくさんの音楽を聴いて、いろんな発見をしたいです。そうそう、エレピで音楽を演奏することも、ぼちぼちやりたい。すべては、人生を豊かにするために。