東京物語/小津安二郎監督(2)

前回に引き続き「東京物語/小津安二郎監督」について。#2の「本作に秘められた祈り」というお題で、語ってみます。紀子(原節子)について、ちょっと記述しておきます。戦死した昌二(次男)の未亡人であり、もちろん平山家とは血のつながりはない。質素なアパートで一人暮らし。昌二の死から八年になるのに、まだ肖像写真を飾っている。そして、次第に昌二を忘れていく自分を責める。「清貧で誠実」だけど、あえて「かまとと」と嫌みをいう人もいるかもしれない。

原節子という女優、演技はそううまいとは思わない。でも、本作の紀子という清貧のキャラを圧倒的な存在感(=華)で演じている。そう、主役をはる人は、演技そのものはそれほど重要ではない。やはり「華」があるかどうかだと思う。顔のつくりがかなりゴージャスなので「清貧のイメージ」とはちょっと齟齬があるんだけど、その美しい所作、表情、声音など、清潔感の極みである。

さて、小津監督が一番言いたかったことって、なんだろう? 前回、志げ(杉村春子)を中心に、穢れた現実の厳しさについて、延々と語った。でも小津が言いたかったのは、もちろんそんなことではない。まるちょうは「弱さ、はかなさに秘められた美しさ」だと思うのね。帰路に体調を崩して亡くなる母、その後尾道で寂しく暮らす父、そして亡き夫を今でも想い続ける紀子。この三人に共通する属性は「人の善さ」である。尾道弁?の「ありがと」という言葉(「が」にアクセントあり)が、とても心落ち着く。声をかける方も、かけられる方も、ホッとするのだ。この「ありがと」という言葉、「穢れた」東京では死語である。エゴイズムが渦巻く生存の地では、「ありがと」というおっとりした言葉は、はかなく、誰にも聴きとれない。

「美しさ」って、なんだろう? 「美しさ」を、それこそ欲望でもって、何かの手段に変えてしまう人もいるだろう。しかし究極の「美」は、何の役にも立たないシロモノである。よく「真、善、美」と言うけど、残念ながらどれも実用的ではない。「正直に、善く、美しく生きること」って、損ばかり。でも、ひとつだけいい事があります。それは・・心の中に「愛」を育めるということです。あ、そこのあなた、椅子から転げないでよ(笑)。「愛」でメシ食えへんわ!とか言わはる人は、帰ってくれ(笑)。そうした人は、エゴの渦巻く穢れた地で、戦い暮らせばよい。

ラスト近くで、父は紀子に、母の形見の時計を贈る。これは決して「モノ」ではない。父と母からの「心」なのです。実の子供よりも、ずっと紀子に感謝している、その気持ちを表したかったのね。・・これこそが「愛」です。エゴに依らない絆です。プライスレスって奴です。実の子供たちが両親に贈ったのは、すべて単なる「モノ」です。そこに「心」はない。この重要なシーンで、笠智衆と原節子は「真、善、美」を、しかと体現している。



話を戻して、小津の一番言いたいこと。「老いた親は邪魔である」に対するアンチテーゼ? いやいや、小津はそれほど強く出ていない。志げに象徴される現実主義に対して、強い否定はしていない。あるのは上記のシーンでの父と紀子の涙、のどかな尾道の風景、そして淡々とした京子、紀子、父の各々の姿。まさに「淡々と」映像が綴られる。ここにはアンチテーゼではなく「祈り」が描かれていると思う。ここが「本物のだしの吸い物」たる所以であって、間違っても「血」は流れないし、勝利も敗北もない。

つまり、小津自身も穢れた現実の厳しさを痛感しているし「真、善、美」の無力さを分かっているから。誰しも自分の親を愛したい。当然じゃないですか。志げだって、心の奥底では愛してるんですよ。だって母が死んだ時の涙は本物だもの。ただ「老いた親は邪魔」というテーゼがまかり通っては、世界の幸福なんてものは、とうてい無理なんです。だからこそ「真、善、美」は、心ある人々によって護られなければならない。そうした「祈り」が込められていると思う。

最後に蛇足なんですが、とても興味深い話。志げを演じた杉村春子は、1997年に膵頭部癌にて91歳で逝去。Wikiによると「本人は癌であることは知らされず亡くなる直前まで台本を読んでおり、最期まで女優であり続けた」とのこと。生涯、いち女優として人生を貫いた。一方、紀子を演じた原節子は、現在93歳で存命中だそうです。ただし1963年に小津監督が死去した後、女優業を事実上引退。「小津の死に殉じるかのように」公的な場から身を引いた、とされる。

二人の生き方は対極的だけど、どちらも究極です。自分の生き方を信じて、生き切っている。カネとか名誉とか力とか、そんなんじゃない。二人に共通するのは、やはり「愛」じゃないかしら。欲得じゃない、とても崇高なもの。これは本作のささやかな主張にも通じると思います。以上、長くなりましたが「東京物語」について語りました。