東京物語/小津安二郎監督(1)

「東京物語」(小津安二郎監督)を観た。本作は2000年頃だったか、京都の映画館で小津特集をやっていて、初めて観た。でも、その時の印象は「だから何なの?」って感じかな。非常に淡々としていて、ハリウッド映画のような「訴求力」には乏しい作風である。「訴求力」というのは「分かりやすさ」と翻訳できるかもしれない。メディアの発達した現代において、この「ふるきよき薄味」が、どこまで意味があるのか。そう、化学調味料に慣れきった舌に、上等な本物のだしの吸い物の味は分からない。特に、子供には分かりづらい味だろう。結局のところ当時の私は、まだ子供だったのね。

今回ふたたび観て、たいそう感動した。淡々と綴られる映像に秘められた、さまざまの問題意識。とても心に残る映画だ、Blogで感想をぜひ書きたい、と思えた。そう思えた自分に、ちょっと乾杯、みたいな(笑)。誇張されない表現というのは、よく言えば「リアル」ということである。文学でもなんでも、リアルに近づけば近づくほど、表現はグレーになる。しかし、その微細な動きにこそ、真実が隠されているんだよね。大人たるもの、それを見抜く力を持たずしてどうする。次のふたつの軸で語ってみる。

#1 老いた親は邪魔なのか?
#2 本作に秘められた祈り


今回は#1について。本作の核になる命題は「老いた親は邪魔である」ということ。「小津調」と呼ばれる淡々とした映像の中に、こうしたドロドロした感情が微妙に塗りこまれている。この一見残酷に見える感情は・・しかし、老いた親を持つ子供は、すべてが持っているはず。「そんなのひどいじゃない!」と言い張る人は、ある意味で偽善者である。だって、残酷なようで、それが現実なのだから。

その現実主義の代表者が、長女の志げ(杉村春子)。この志げというキャラに潜む「性悪」は、小憎らしいくらい自然で、ため息が出るくらいだ。そう、ごく自然で普通なんです。どこも悪くない、どこにでもいるおばちゃん。でもその言動をつぶさに観察すると、密かな棘が見えてくる。そして「棘」と言って咎めたところで、我々の無意識の中に、ちゃんと「志げ」はいるのである。それはたぶん、例外なく。

故郷の尾道から、わざわざ東京にやってきて、長男、長女の家でゆっくりもできず、熱海の旅館に体よく「追いやられる」哀れな両親。旅館は若い者たちのどんちゃん騒ぎで眠ることもできず、翌朝に堤防に並んで、ぽつねんと海を眺める二人。このシーンは、親になんらかの罪悪感を持っている人には、きついはず。超自我が「そんなのひどいじゃない!」と、その人を責めるのだ。

帰路から体調を崩していた母が亡くなる。長男、長女、三男は、亡くなったその場はもちろん悲しみ泣きくれる。この涙は決してうそ泣きではない。ちゃんと真実の涙だ。でも・・彼らはすぐに自分の生活へ戻っていく。一番象徴的なのは、葬式が済んで家族で食事のシーン。志げの科白を載っけておきます。父が中座したタイミングで。


でもなんだわねぇ。こう言っちゃ悪いけど、どっちかって言えば、お父さん先の方がよかったわねぇ。これで京子(一番下の次女)がお嫁でもいったら、お父さんひとりじゃ厄介よ。お母さんだったら、東京に来てもらったってどうにだってなるけど。ねぇ京子、お母さんの夏帯あったわね。ねずみのさ。梅雨芝の。あれ、あたし形見に欲しいの。いい?兄さん。それからね、うん、細かい絣の上布、あれある?あれも欲しいの。しまってあるところわかってる?出しといてよ。(ここで父戻る)

志げの「棘」が、ふと顔を出す場面だ。臨終の時に流した涙の記憶は、すっかり雲散霧消である。みなさん、この志げの棘を「そりゃ薄情だ!」と責めますか? いや、待ってくれ。こうした「ちゃっかり性」って、生きていく上で必要な資質じゃないかな?「生」とは、常に穢れたものである。安っぽい感傷など、何の役にも立たない。立ちすくんでいたら、いつの間にか取り残される。そうしたドロドロした「生」を考えるとき、親の死を、ある意味「淡々と処理する」という行為は、罪なんかじゃなく、むしろ「健全」と言えるのかもしれない。本作の構図として

尾道(故郷=無垢の地)<ー>東京(生存の場所=穢れの地)

という対比が、思い浮かぶ。子供たちは東京という穢れの場所へ巣立ち、今は生きるのに忙しい。親どころじゃない。自分の生活を守るのが最優先であり「老いた親は邪魔」なのである。そう断言しちゃうと生々しいって? そこで登場するのが、戦死した次男の未亡人である紀子(原節子)なんだな。彼女は志げと対照的な立場です。次回、彼女の視点から書いてみます。