Blog再開ーー減薬を完了して思うこと

まるろぐをご贔屓のみなさまへ。最終の減薬もほぼ終了し、安定期に入ったと思いますので、そろそろBlog再開したいと思います。まず、何を書くか。それは自分の中では決まっています。題して「減薬を完了して思うこと」。つまり、双極2型障害を発症して、ざっと20年。今回ひとつの節目として、この「重い歴史」を概観しておきたいと思うのです。

書き始めるときりがないので、ポイントを絞ります。感謝したい人を挙げてみる。年代順に・・まず、一番苦しい時に支えてくれた両親。1997年に治療に専念することになった時、リスクを承知で、まさに試行錯誤で突っ込んだ治療を敢行して下さったK医師。そしてもちろん、2003年に結婚して、翌年から抗うつ剤減薬という厳しい試練に一緒に耐えて、大いなる支援をしてくれた、お蝶夫人♪とダイゴ。最後に、2007年の減薬失敗時に、冷静に対処された今の主治医、S医師。

・・ここまで書いて、もう何も書けなくなった。それほどこの20年に詰まった想いは、濃密でこんがらがって、次から次へとマグマのように噴出してくるようだ。とてもひとつのBlogで書き切れません。だって、書きようがないよ。


ひとつ大事なこと。減薬は完了したけど、双極性障害に治癒はありません。あるのは、あくまでも「寛解」です。だからこの先、ストレス過多による躁うつの増悪は、大いにあると思います。つまり、これからも「内なる闘い」は続くのです。絶えず自己評価、そしてリスク回避、さらに行く時には思い切って行く。ま、これはみなさんそうですけどね。ただし、これからの「闘い」は、一人ではない。家族がいてくれる。本当に感謝したいと思います。お蝶夫人♪とダイゴがいなかったら、到底ここまでたどり着けなかった。

さて、ひとつ告知があります。Facebookという便利なツールがあります。自分の生まれてからこれまでの道のりを、記述できるようになっている。今回これを利用してみようと思っています。具体的には「健康・・病気の克服」という項目があるのね。これにいろいろ記念碑的に記述してみようかと考えています。もちろん、公開は「友達承認」した方に限定させていただきます。内容としてはまず、この20年間を概観する年表を作ってみました。それと、1992年(研修医一年目)での失踪時の日誌など。この失踪日誌は、いわば「恥の記録」なのですが、資料としては面白いと思います。ずっとお蔵入りになっていましたが、限定公開ならいいかなと判断しました。

改めて「減薬を完了して思うこと」。前述の通り、これは終着点ではありません。闘いは続く・・でも、苦しい20年とは、別のフェイズに入って行くと予想しています。いわば「欠落を埋めるフェイズから、定常状態を維持するフェイズ」という感じかな。もし可能ならば、50代に入ってから「攻めるフェイズ」に入って行けたら、理想的だと思っています。まぁ、人生なんて思う通りには行かないので、勝手に描く「未来予想図」なんですけどね。

具体的には、なるたけフィジカルに生きたい。健全な肉体を、もっと確かなものにしていきたい。精神なんてものは、その後に自然に付いてくるものです。健康の大切さは、本当に身にしみています。「健康への切なる願い」は、私にとってまさにリアルなパラダイムであり、この20年でのささやかな「収穫」とさえ言えるでしょう。分かりやすく言えば「元気があれば、なんでもできる!(by アントニオ猪木)」ですわな。逆に言うと「元気でいること」が、特に中高年以降、どれだけ難しいかということです。

「減薬完了」という看板を掲げていますが、実際にしかと定着するのは、一年くらいかかると思っています。2011年の教訓として、やはり動きすぎは仕事に影響が出ます。年頭に宣言したように「できるだけ閉じた一年」となるよう、配慮したいです。そういう中でBlogを書きますので、なかなか週イチを守るのも四苦八苦という展開になるかもしれません。そのへん、ご了解いただきながら、拙い文章を楽しんでいただければと思います。でもいったん書くとなれば、納得したものをお届けするつもりですよ。そこんとこ、夜露死苦(笑)。では、今後とも「まるろぐ」をよろしくお願い申し上げます。( ´ ▽ ` )ノ