ショーシャンクの空に/フランク・ダラボン監督(2)

前回に引き続き「ショーシャンクの空に」をネタに、文章を書いてみたい。題して「希望ってなんだろう?」。おそらく原作者スティーブン・キングの一番言いたかったことは「希望を持ち続けることが、どれだけ大切か」ということだと思うのね。中盤のアンディとレッドの会話を再掲しておく。

アンディ「人間の心は石でできているわけじゃない。心の中には何かがある。誰にも奪えないある物が・・君のこころにも・・」レッド「一体なんだ?」アンディ「希望だよ」レッド「お前にいっとくが、希望は危険だぞ。正気を失わせる。塀の中では禁物だ。よく覚えておけ」

レッドの思考の流れは極めて現実的だが、ある意味で「運命に負けている」気がする。レッドは殺人の罪で受刑の身である。その運命の重さに、従順になっているのだ。もちろん絶望の淵では、希望なんか捨ててしまった方が楽かもしれない。でも考えてみて欲しい。運命と希望は、コインの裏表の関係なのだ。これ重要だから、もう一度言うね。「運命と希望は表裏一体の関係にある」と。厳しい運命が彼を絶望に追いやったとしても、希望は決して失われてはいない。「希望は危険だぞ」という姿勢は、自らババを引いているのと同じ。敵前逃亡ってやつだ。要するに、レッドは運命の言いなりになっていたのね。

虚無主義というブラックホールは、希望を根こそぎ食い尽くしてしまう。「どうせダメだ」「やるだけ無駄だ」「もう俺の人生は終わりだ」・・いや、終わってないんだよ。真っ暗な牢獄の中でも、光は残されている。要はその微かな光を信じることができるかどうかなんだよね。その「目に見えない内なる光」を自ら消し去ってしまっては、もったいなすぎる。それこそ人生が台無しだ。アンディは脱獄用の穴を少しずつ掘ることで、正気を保っていた。そうして自らの希望の火を灯しつづけたのだ。希望は形成に関わっている。アンディの場合は「穴」だったというわけ。

アンディの脱獄のあと、レッドが仮釈放される。約40年ぶりのシャバ。かつて自身が「終身刑は人を廃人にする刑罰だ・・陰湿な方法で」と漏らしたように、彼はまさに「施設慣れ」の状況だった。知人がいない、周りからは白い目で見られる。すでに相当な年寄りであるレッドに、自由などなかった。牢獄の外は「さらに大きな牢獄」にすぎなかったのだ。そんなある日、アンディの「秘密の言葉」を思い出す。熱に浮かされたような眼差しで「太平洋(別称:記憶のない海)に面したメキシコの町でホテルを開く・・ジワタネホで」とつぶやいたアンディ。あの言葉を信じて、レッドは「大きな牢獄」から脱出を試みる。自由を勝ち取るための、勇気ある抵抗。もう彼は「運命に従順な虚無主義者」ではない。約束の地で、レッドが一通の短かい手紙を地中から掘り返す。その一節を、まるちょう訳とともにどうぞ。

Remember, Red….hope is a good thing. Maybe the best of things. And no good thing ever dies.

覚えているかい、レッド。希望はすばらしいものだよ。たぶん、一番にすばらしいんじゃないかな。そして、決して消滅することはないんだ。

訳してみたら、なんて単純な言葉だろう! 世慣れた人からは「だからなんなの?」とか言われそう(笑)。しかし、これそのものがキングのメッセージなのである。この「真理」を伝えたいがために、小説を書いた。そして、ダラボン監督が映像化した。この「真理」は、凡庸な人々にはあまりにも陳腐に映り、そのうち忘れ去られてしまう。現実の生活の中で擦り切れて失われてしまう。それはともかく、ラストの美しい海岸で二人が再会するシーンに、今回は涙がにじんだ。「希望」を信じきった二人の勇者の再会だな。

Get busy living….or get busy dying
(字幕)必死に生きるか、必死に死ぬか


最後に、この印象的なフレーズを挙げておきたい。アンディとレッドが秘密の会話を交わすシーンで、アンディがポツリとつぶやく言葉。これ、字幕の訳はちょっと気が利いていないので、まるちょうが補足しますね。「busy …ing」とは、もちろん「~するのに忙しい」「せっせと~に励む」という意味。後半は直訳すると「死ぬのに忙しくなる」となる。例えば「忙殺」という言葉がある。これはまさに「運命に押し潰される」生き方を指している。イメージとしては、与えられた仕事で忙殺されて、自分の天命を知ることもなしに、ただ生きている。そこには希望の入る余地がない。その人はいつの間にか牢獄の中で、閉塞感にもがくことになる。逆に前半は直訳すると「生きるのに忙しくなる」となる。これはやや解釈が難しいが・・ 個人的には「厳しい運命に抗って、希望を確信して生きる」と解釈したい。アンディの場合は、ずばり「脱獄」を意味している。しかし「生きるのに忙しい」と言える人が、この世にどれだけいるだろうか? 「内なる自由」を感じて「生きるのに忙しい」と言える人になりたい。そのためには「厳しい運命に対して闘う」姿勢が、結局のところ必要なんだと思う。闘うためのエネルギーが「希望」なんですね。

さて、この短い言葉は人生における分水嶺を示している。生きる人は生きるし、死ぬ人は死んでいく。運命は厳しく、容赦なくその線引きをしていく。何度も言うけど、そこでポイントになるのが「希望」なのだ。牢獄は社会や人生にあるのではない。自分の心にあるのだ。自由になるには、まず自分の心の中に「希望」を見つけることだ。それは、ちゃんとそこにあるのだから。以上「ショーシャンクの空に」をネタに、二回に分けて文章書きました。