友だちの間柄でHは可能か?

村上さんのQ&Aのコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して、まるちょうなりの考察をしてみる。

<質問>友だちである男女の間柄でHはありですか? 肉体関係があって、友だち(セフレではなく)っていえるのでしょうか? 村上さんは友だちである女性と、そんな関係になったことがありますか? 私の男友だちはありだと言います。私は釈然としないのですが・・ 年をとるごとにHに対する認識が少しずつ変容していって、最近よくわからなくなってきました。大人の男の方の意見をうかがいたいです。(33歳女性、学校図書室の司書)

<村上さんの回答>セックスしながら友だち同士でありつづけることはできるか? それは可能だと思いますよ。「友だちは友だち、ファックはファック」とクールに割り切れれば、問題ないです。ただ人によって、そういうことがうまくできるタイプとできないタイプとがあります。ふたりとも「できるよ」という人々であれば問題はぜんぜんないのですが、どちらか一人でも途中の段階で「私にはできない」と思い始めたら(わりによくあるケースです)、これはちょっと困ったことになります。困ったことにならないように、ご自分でよくよく考えてみて下さい。


<まるちょうの考察>友だちである男女の間柄でHはありか? まるちょう的には、ないです。初めに言っときます。村上さん「友だちは友だち、ファックはファック」って・・ 標語じゃないんだから。それはあくまでも「理論的に可能性はゼロではない」のであって、実際的には、ほぼあり得ないのではないかと思うのですが。

核心にある哲学は、人間という存在を「心と身体の二元論」か「ひっくるめての一元論」か、どちらで説明するのか、です。まるちょうは一元論信者です。つまり、心と身体は繋がっている、もしくは元来ひとつのものであるという立場。「友だちは友だち、ファックはファック」という考え方は、ずばり二元論だ。心は友だち、身体的には「男と女」ということね。「♂と♀」と表記してもよい。大抵の場合、コンスタントにセックスする仲になると、どうしても「情」は入ってくると思う。それが普通だ。人間は機械じゃないからね。頭はあっち向いて、身体はこっち、というわけにはいかん。村上さんは「クール」というが、むしろそれは「メカニカル」だと言いたい。こう思うのって、一般的ではないんだろうか? うーん。

我田引水になりますが、一般外来をやっていると「心身症」の患者さんが結構いらっしゃる。多いのは過敏性腸症候群、機能性胃腸症、咽頭神経症などかな。心が様々のストレスを感じ取り、身体が腹痛、下痢、便秘、腹部膨満感、咽頭部違和感などを表現する。こうした現象は、上記の「心身一元論」でないと、説明できない。過敏性腸症候群と機能性胃腸症に関しては「脳腸ホルモン」という物質の存在がすでに指摘されているので、「脳と胃腸が繋がっている」という証左はすでにある。むしろ二元論を振りかざす医師がいるとしたら、相当に怖いのだ。「私は目に見える病気だけ診て、心は診ない」という態度は、患者にとって脅威でさえあるだろう。つまり、医師という人種は「心身一元論」を捨ててはいけないのです。医療がメカニカルになっては、お先真っ暗だ。そんなの誰も欲してないから。

さて、話を元に戻そう。例えばまるちょうが、愛情もなくある女性と肉体関係を持つとする。「東京ラブストーリー」の完治とリカのように。確かに「肉体から入る」男女関係は、あっても構わない。でも、まるちょう的には、セックスを重ねれば重ねるほど、相手への心の動きは止められなくなると思う。少なくとも、まるちょうは、です。

たぶん、分裂性の自我を持っている人は、友だちの間柄でHは可能なのかもしれない。でもそんな人、いるのかなぁ? 常識的には、ムリだと思います。だからこそ村上さんも「困ったことにならないように、ご自分でよくよく考えてみて下さい」と釘を刺したんだろう。全然関係ないけど、心身二元論を調べていて、ちょっと面白い言葉遊びを見つけたので、載っけときます。

What is mind?(心とは何か?) – No matter.(物質ではない/どうでもいい)


What is matter?(物質とは何か) – Never mind.(決して心ではない/気にするな)
以上、とりとめがなくなりましたが「村上さんのQ&A」のコーナーでした。