リトル・ダンサー/スティーブン・ダルドリー監督

「リトル・ダンサー」(スティーブン・ダルドリー監督)を観た。劇場で観たのをあわせて、今回で四回目になるだろうか。何度観ても泣ける。それも号泣である。そして最後には、何とも言えない温かい気持ちになれる。こういう「善きもの」を冷静に、客観的に分析するのは、なんか素敵な魔法を解くみたいで忍びないんだけど、Blog書くからにはそうした作業を避けることは出来ない。なんでこんなに泣けるのか、ちょっと考えつつ文章を書いてみたい。

#1 ベースにある家族愛
#2 夢を信じること

まず#1から。リトルダンサーたる、少年ビリー・エリオットを演じたジェイミー・ベルは、もちろん素晴らしい。でも、まるちょうの心のツボに来るのは、お父さん役のゲイリー・ルイスなんだな。Wikiなんかみても、あまり賞らしい賞は獲っていないようだけど、このお父さんの存在感は凄いと思う。大まかな設定を述べる。

舞台はイギリス北部の貧しい炭鉱町。炭鉱はすでに斜陽で、労使が衝突してストライキ中。エリオット家は数年前に母が亡くなり、みんなどこか元気がない。武闘派の父と長男のトニーは、バリバリのストライキ支持派。徹底抗戦の構えだ。でも仕事がなくて、貧困にあえいでいる。いいことなんて、なにもない。父はイライラすると、すぐにタバコ。無骨な父は、次男のビリーをたくましくて強いボクサーに育てたかった。でもビリーは試合で負けてばかり。一方トニーは、組合のリーダー格で、激しい抗議行動で逮捕されてしまう。おまけに認知症のおばあちゃんもいるし。ホント、いいことなんてなにもない。エリオット家は、絶望の淵にいたのだ。

そこへ持ってきて、ビリーが「バレエを本気でやりたい」と言いだす。この時の父の表情が絶品である。「男はバレエなんか・・ 男はサッカーとか、ボクシングとか、レスリングとか・・ 男が、バレエなど!?」最後の科白「Ballet!?」の情けない、悲しい父の表情が、妙に可笑しい。でもある日、ビリーの「心のままに弾けるように踊る」姿を目の当たりにする。その人並みはずれた才能を目の当たりにして、愕然とする父。そうしてあれほど頑なだった組合運動をも投げ捨てて、経営者側の方に入っていく。そうしないと金銭的に、ビリーの夢が叶わないから。卵を投げつけられながら走る炭鉱行きのバスに乗って、おどおどする父。プライドを投げ捨てるという行為の、いかに辛いことよ。そしてトニーが父の姿を見つけて、バスを降りたところで泣きながら抱き合うシーンは、いつも号泣してしまう。


父さん、今更なぜ?
ビリーの夢を叶えてやりたいんだ。
今まで頑張ったのに・・水の泡だ。
ビリーのためだ! 才能を伸ばしてやるんだ!
だからって、こんな・・ 父さん!
(二人とも抱き合う)
ビリーはたった11歳の子どもだよ! 小さな子どもだ。
俺を許してくれ!
父さん!
お願いだ!
俺たちに未来があるっていうのか?
おしまいだよ。だがビリーには未来があるんだ。

もうね、科白写しているだけで泣けてくるからね。ほとんど病気だね(笑)。

初めは嘲笑していたトニーも、いつしかビリーの夢に協力的になっていく。そして、あれほどさびれていた家族の中に、ひとつの光明が差してくるのだ。

ひとつだけ、忘れ得ぬシーンがある。それはビリーが首都ロンドンへ旅立つのを、父と兄が見送るシーン。ビリーがバスに乗って出発した後、父と兄が炭鉱へ向かう短いカットが挿入される。これ効いてるね~ ここの何とも言えぬ重苦しさ、労働のしんどさ、男の汗臭さが、ビリーの夢であるダンスの軽やかさと鮮やかに対を成していて、極めて印象的。ビリーの夢を、汗臭い男の労働が支えるという厳しい現実を、ほんのワンカットの挿入で伝えるという簡潔さが秀逸。



次に#2について。夢を信じること、これが本作の主眼。ジェイミー・ベルのダンスは素晴らしい。ダンスが本物でないと、本作は成り立たない。よくこんな逸材を見つけたもんだな。「演技ができて、踊れて、イングランド北東部の正しい訛りを話せる、11歳くらいの少年」・・ジェイミー自身も素晴らしいが、このキャスティングの奇跡が、凄いと思う。

ラストで25歳になったビリーが出てくる。あれから14年経過して、彼はロイヤル・バレエ団のプリンシパルである。演じるのは、世界的なトップスターである、アダム・クーパー。この圧倒的なオーラ、すごい。完成された肉体と精神。「舞踏の神」となった25歳のビリーは「白鳥の湖」に合わせて、大胆に舞う。

ここで監督が一番言いたかったことを考える。それは14年という歳月の重み。この青春期から青年期、一番伸び盛りのときに、夢を一途に追い求めれば、そうした「大変化」が不可能ではないんだよ、という主張ね。あ、でも中高年でも15年あれば、それ相応の「喜ばしき変化」は、あると思いますよ。ただ、15年脇目も振らず努力できるか、です。「継続は力なり」という諺は、誰でも知っているが、実際にやるとなると大変に難しい。歳を重ねるほどに、視野は広くなり、誘惑も多くなる。例えば、おっさんが「若いうちにやっとけばよかった」と言う。でもそれは、言い訳に過ぎないのです。おっさんは今からやればいいのです。50歳ならば、65歳で夢を叶えればよい。ただ、仮面ライダーのように「変身!」のかけ声とともに、一瞬で変身できるわけではない。リアルでは、変身に15年かかるというわけ。要は、その15年という長さに耐えられるかどうかである。自分の直観を信じ切ること。夢を追っている人は、常に若い。「どうせ、人生なんか」と変に悟った瞬間から、老いは訪れる。夢を信じるって、忘れてはいけないと思います。以上「リトル・ダンサー」について、感想を書いてみました。