漫画でBlogのコーナー! まるちょうお気に入りの短編漫画をネタに、また語ってみたいと思います。今回は柴門ふみの「女ともだち」から「合鍵」をチョイス。まずは、あらすじから。
ゆみと宇加田くんは、かなりいい線いってるカップルだった。ゆみの部屋に宇加田くんがやってきて、いつの間にか同棲・・そして、二人は別れることになりました。物語はここから。宇加田くんが出て行くとき、ゆみは彼にスペア・キーを渡す。「あたし、一年待つ」と。「一年たって、もう一度あたしと暮らす気になったら、このキーでこの部屋に戻ってきて。あたし部屋このままにして待ってる」「その気がおきなかったら?」宇加田くん。「捨ててよ」ゆみ。
別れたいきさつはこう。ある日、あくまでも冗談で、ゆみが「他に女がいるんでしょ? 別れましょうよ」と女優気取りで、宇加田くんを詰問する。すると、ひょうたんからコマ。「わかった・・」と宇加田くん。要するに、宇加田くんモテるのね。ゆみは未練たっぷりである。
ゆみは夢想する。一年たって、あなたは合鍵でこの部屋の扉を開ける。するとそこには見慣れぬ部屋が出現する。そして変装したあたしがいうの。「この部屋の持ち主は変わりました」「えっ!?」と驚くあなた。「冗談よ!」と種明かしするあたし。「相変わらずだね、僕をおどかしてばっかり!」笑顔のあなた。そうして、ゆみは部屋を一年がかりで改装する決意をする。それも、全部自力で。
やがて一年経過したある日、街でばったり宇加田くんと出会う。向こうは、ちゃんと違う女子が同伴だ。小声でゆみのことを話している。「久しぶりだね。また今度一緒に飲みにいこうよ。誘うよ」と屈託のない彼。しかし、ここでゆみは自分の愚かさに、ようやく気づいたのだ。彼はもう戻ってこない。戻ってくるはずなどなかったのだ。
数日後、宇加田くんがゆみの部屋をたずねてくる。合鍵は使わず、呼び鈴をならして。「返す」と合鍵を彼女に渡す彼。「ぼくたち大げんかしたわけじゃないし」と宇加田くん。「友だちとして仲良くやっていこうよ。時に一緒に食事したり、お酒飲んだり、近況報告に思い出話」そんな彼に、ゆみはさりげなく抱きついてキスをする。そして最後の決め科白「友だちなんか、いらない。愛が欲しい」
本作の重心はもちろん、最後の科白にある。まるちょうはこの科白に、激しく同意したい。ひとつの確かな「愛」があれば、広く浅い友人なんて、どうでもいい。・・こう極論してしまうと、引かれるかもしれないな。でも、青春期に真に孤独を味わったとき、本当に欲しいのは友人ではなく「愛」のはずだ。友情は、それはそれで素晴らしいし必要だと思う。でも友情は決して「安息の場所」を提供しない。結局孤独はそのまま。深い渇きは癒されないのだ。
いきなり哲学的になっちゃったけど、本作の主眼は「男女が友だちになり得るか」ということね。ゆみと宇加田くんの考えの違いは、次のように述べられている。
限りなく気のあうわたしたちに思えていたのですが、彼はわたしとふざけ合うことによって、その場限りの軽い楽しみを味わいたがっていたのに対し、わたしはふざけたふりをしてでしか本心をほのめかすことができなかったのです。求めるものがお互い違いすぎていました。
男女が友だちになるには、とても現代的で都会的でドライな土壌が必要だと思う。宇加田くんのように「その場限りの軽い楽しみを味わう」という姿勢ね。お互いを束縛せず、適当な距離をおいて、深く立ち入らない。言っときますが、まるちょうはこんなのは苦手。てんで駄目です。というか、一種の嫌悪感さえ感じる。宇加田くんは、人生をゲームと勘違いしているのだ。適当な女の子と適当に遊んで、刹那的に生きる。こんな人生に、何の意味がある? ふざけんな。
ただ、宇加田くんも「真の孤独」を感じる時期がくれば、人生の意味について考えるだろうよ。ゆみと暮らした日々は、そのような重い時間じゃなかった。全てはタイミングなんですね。ホント、男女関係にタイミングというファクターの重要なことよ。
ここからは一般論。「愛」と「友情」について考えてみる。次の名言を思い出そう。
可哀想だた惚れたつて事よ(漱石)
夫婦関係というものは「始まりは愛→やがていつかは友情」となりがちだと思う。よく老夫婦がお互いを「戦友」なんて表現するけど、それはある意味で哀しい終焉である。夫と妻がいつか「対等」という、いかにも真実らしい「立ち位置」を与えられ、時には張り合うことさえあるという、ドライな関係に陥るという罠。あほちゃうか。こんなん罠ですよ! 夫婦は愛し合う男女である限り、「相手に何かを与える」というベクトルを忘れてはいけないと思う。とても困難なことですが。
話を戻して、宇加田くんにやや感情的になってしまった。どこかに「モテ男に対する嫉妬」があるのかもしれません。でも、これだけは本当だから、もう一度言う。人生はゲームではない。真剣に生きたいのなら、早くそれに気づくべきだと思う。「友だちなんか、いらない。愛が欲しい」柴門さんが約30年前に刻んだこの科白は、今もまるちょうの胸に響く。確かに響く。以上、漫画でBlogのコーナーでした。