危険な情事/エイドリアン・ライン監督

「危険な情事」(エイドリアン・ライン監督)を観た。本作は原題「Fatal Attraction」の方が刺激的というか、核心に迫る感じがする。ちょっと面白いので、詳らかにしてみる。fatalは「不幸をもたらす、死を招く、運命の、不可避の」という意味。fateの形容詞型だから「運命、死、破滅、神の摂理、天命」などがイメージとして挙がる。一方、attractionは「引きつけること、引力、魅力」など。したがって村上春樹ファンのまるちょうとしては「国境の南、太陽の西」における「吸引力」を想起せずにはいられない(詳細はこちら)。



ひとことで言うと、人の運命を狂わせる甘美で狂気に満ちた「吸引力」である。このテーマは妻子持ちの男性にとっては共通の、底知れぬ恐怖感がある。上記の「国境の南、太陽の西」は、まるちょうに根源的な不安、恐怖、哀しさを催させた。それに較べると、本作はやや表面的だと思う。何度も観たいと思わせる作品ではない。いかにもハリウッド的で、直截的なホラーの要素がかなり入っている。まあ、興行的に成功しないといかんからね、仕方ないけど。深いばっかだと、客がついてこないし。でも、その恐怖たるや、凄まじいのひとことに尽きる。これ、劇場で観たら震え上がっただろうな。まさに「きゃんたま袋が縮み上がる」という奴ですわ~(笑)。では、エイドリアン・ラインの描いた「致死的な引力」について、ちょっと文章を書いてみようと思う。

DVDの特典映像によると、本作の出立点は「Diversion(火遊び)」という短編映画である。この際、「火遊び」というのはうまい訳語だと思う。世の中のすべての既婚男性は「火遊び」をしたいと思っている。まるちょうは強調します、「すべて」です。もちろん、実際に行動に移してしまう阿呆は、限られているけどね。しかし「願望としての火遊び」は、すべての男性の無意識の中に眠っている。それほど「普遍性のある欲動」なわけね。本作が大ヒットした背景には、こうした「普遍性」があると思う。つまり「すべての男性の無意識を断罪する恐怖」なわけです。

恐怖の女たるアレックス(グレン・クローズ)の人格分析をしてみよう。ひとことで言うと境界性パーソナリティ障害なんだけど、個人的にはしっくりこない。最初の描写は、ちゃんと自立した社会人であり「大人の女性」という印象である。それが「あれよあれよ」といううちに、狂気にまみれたストーカーになっていく。リアリズムを追求すると、ちょっと齟齬を生じる描写だと思う。それにしてもグレン・クローズの演技は凄い。ラストシーンなんか、おしっこちびりそう。

話を元に戻して、本作の核心である「火遊び」という行為について考えてみよう。まるちょうは思うんだけど、火遊びの底流には「やんちゃ魂」がある。やんちゃは「ルールを破りたい心」。ちょっとした出来心で、美味しい果実を喰ってしまう。食した時の快楽はたまらないが、その後の因果応報は、彼をとことん追い込む。でも、男はfatalだからこそ、引き込まれるんだよね。毒があるからこそ、打ちのめされ、アリ地獄のように引きずり込まれる。「Fatal Attraction」を前にすると、男性の脳髄は痺れて、善悪の判断ができなくなってしまう。冷静に戻った時の自己嫌悪とか狼狽とか後悔・・マイケル・ダグラスが好演していたけど、ホント「あちゃー」ってかんじだよね。こんな感情は「火遊び」に夢中になっている時は想像もできない。

まるちょうはどうか? ずばり「火遊び」はしません。自己抑制が強いというのもあるけど、やはり脇道にそれるのが嫌なんだな。「Diversion(火遊び)」の原義は「(方向などを)わきへ逸らせること」なんだよね。自閉的なまるちょうは、視野が狭いのです。もし「とろけるような美味しい果実」が目の前をすぎても、せいぜい「匂いを嗅いで楽しむ」だけです。決して喰いません(笑)。放蕩は人間を腐らせる。地獄へ突き落とす。本作は、これでもかというくらいに、そのことを視聴者の脳髄深くに叩き込みます。いわば「男性の幼稚なやんちゃ魂に鉄槌を下ろした」わけだね。

本作を観て、きゃんたま袋を縮ませた男性は、星の数ほどいるだろう。しかし結局のところ、そうした「口に苦い良薬」の効果は永続しない。きゃんたま袋は、またぞろ膨らんでくるに違いないのである。哀しいかな、それが男性の性(さが)であり、本質でさえあるから。男性は火の中に飛び込みたいし、毒も飲みたいのだ。女性はそれを「愚か者」となじるだろう。でも、わかってやってほしい、それが男の「弱さ」なのだから。いや、わからんか・・

最後に三人家族のポートレートを映して、エンディングになる。これだけめちゃめちゃになっても、家族の絆は保たれるという男性に甘い収束である。世の男たちは、ほっと胸をなでおろし「こんな悪夢は、やはり映画の中だけだよな」とうそぶく。のど元過ぎれば熱さ忘れる、という諺がありますが、本作公開が1988年。ラストで胸に短刀をぐさりと刺された男たちは、24年経過した現在、どうなんだろう。本作の「薬効」はすでに期限切れなんだろう、たぶん。せめて自分は「明日は我が身」という言葉を噛みしめたい、と慎ましく思いますです(笑)。以上「危険な情事」について、語ってみました。