小説 黒人の死ぬ時(5)

丸長が時計を見ると、1時27分を指していた。

「おい、煙草が吸いたくなったな」

「そうですね」藤壷がバグを圧しながら答えた。

「一本つけてくれよ」

「ここで、ですか」

「そうさ、お前は片手がきくだろう。俺の右ポケットに煙草とライターが入っている」

「煙草ならありますけど、看護婦を呼びましょうか」

「いいよ、煙草を吸うのに呼んだりしたら、えらいことになるよ」

「でも、僕達は遊んでいるわけではないんですからね」

「放っとけよ」

藤壷は空いた方の手で白衣のポケットをさぐり、ハイライトを取り出した。

「僕が火をつけて、先生に渡すんですか」

「俺は持てないんだから、くわえさせてくれ」


煙草をくわえ、火をつけると、藤壷は二度ほど吸ってから丸長の口へ持っていった。

「灰皿はないんですか」

「床でいいさ」

続いて藤壷が自分の分に火をつけた。

「うまい」

丸長はゆっくりと煙を吐いた。煙は一旦まっすぐ上がり、中途で急速に崩れて横へ流れた。

「廊下では我々が煙草を吸っているなんて、夢にも思っていませんね」

口を開けると煙草が落ちるので、丸長は目だけでうなづいた。

「僕も外科をやればよかったですよ」

藤壷が言ったが、丸長はやはり答えなかった。

「灰を落としましょう」

「うん」

藤壷は丸長の口元から煙草を引き取ると、灰を床に落とした。

「灰が長くなって、心臓の上に落ちたりしたら大変ですからね」

「平気さ」

「でも感染して・・」

「灰だから細菌はないよ、心臓の上で、じゅっ、といってすぐ消えちゃうよ」

灰の落ちた煙草を、藤壷は丸長の口へ再びくわえさせた。

「しかし心臓と肺を動かしながら煙草をのむ、なんていうのはおかしいですね」

「うん」

「大体、こんなビルの上で星空を眺めながら心臓を動かす、っていうのからして変ですよね」

「ふふ」

時計が1時32分を指していた。

「灰を落としますよ」

「もう消していい」

藤壷は自分のと二本の吸殻を床に足で踏み消した。丸長はまた手を休め心臓を見た。

「動かねえ」

「駄目ですか」

「怠けもんだよ、この黒人さんの心臓は」

丸長は舌打ちをし、床に唾を吐いた。心臓の表面には、相変わらず細かい震えが流れているだけだった。

ふと部屋のドアが開いて、二人が振り向くと入り口に先ほどの看護師が立っていた。

「なんだい」ややどぎまぎして丸長。

「家族の方が、いまどんな具合なのか、様子だけお聞きしたいって」

藤壷は丸長の顔を見た。

「そうだな」

丸長は心臓の表面を走る震えを見つめていた。

「まず、駄目だ、と言ってくれ」

「はい」

「いま最後の努力をしていると」

看護師は頭を下げて出ていった。ドアの閉まる音が部屋に響いた。(つづく)