丸長が時計を見ると、1時27分を指していた。
「おい、煙草が吸いたくなったな」
「そうですね」藤壷がバグを圧しながら答えた。
「一本つけてくれよ」
「ここで、ですか」
「そうさ、お前は片手がきくだろう。俺の右ポケットに煙草とライターが入っている」
「煙草ならありますけど、看護婦を呼びましょうか」
「いいよ、煙草を吸うのに呼んだりしたら、えらいことになるよ」
「でも、僕達は遊んでいるわけではないんですからね」
「放っとけよ」
藤壷は空いた方の手で白衣のポケットをさぐり、ハイライトを取り出した。
「僕が火をつけて、先生に渡すんですか」
「俺は持てないんだから、くわえさせてくれ」
煙草をくわえ、火をつけると、藤壷は二度ほど吸ってから丸長の口へ持っていった。
「灰皿はないんですか」
「床でいいさ」
続いて藤壷が自分の分に火をつけた。
「うまい」
丸長はゆっくりと煙を吐いた。煙は一旦まっすぐ上がり、中途で急速に崩れて横へ流れた。
「廊下では我々が煙草を吸っているなんて、夢にも思っていませんね」
口を開けると煙草が落ちるので、丸長は目だけでうなづいた。
「僕も外科をやればよかったですよ」
藤壷が言ったが、丸長はやはり答えなかった。
「灰を落としましょう」
「うん」
藤壷は丸長の口元から煙草を引き取ると、灰を床に落とした。
「灰が長くなって、心臓の上に落ちたりしたら大変ですからね」
「平気さ」
「でも感染して・・」
「灰だから細菌はないよ、心臓の上で、じゅっ、といってすぐ消えちゃうよ」
灰の落ちた煙草を、藤壷は丸長の口へ再びくわえさせた。
「しかし心臓と肺を動かしながら煙草をのむ、なんていうのはおかしいですね」
「うん」
「大体、こんなビルの上で星空を眺めながら心臓を動かす、っていうのからして変ですよね」
「ふふ」
時計が1時32分を指していた。
「灰を落としますよ」
「もう消していい」
藤壷は自分のと二本の吸殻を床に足で踏み消した。丸長はまた手を休め心臓を見た。
「動かねえ」
「駄目ですか」
「怠けもんだよ、この黒人さんの心臓は」
丸長は舌打ちをし、床に唾を吐いた。心臓の表面には、相変わらず細かい震えが流れているだけだった。
ふと部屋のドアが開いて、二人が振り向くと入り口に先ほどの看護師が立っていた。
「なんだい」ややどぎまぎして丸長。
「家族の方が、いまどんな具合なのか、様子だけお聞きしたいって」
藤壷は丸長の顔を見た。
「そうだな」
丸長は心臓の表面を走る震えを見つめていた。
「まず、駄目だ、と言ってくれ」
「はい」
「いま最後の努力をしていると」
看護師は頭を下げて出ていった。ドアの閉まる音が部屋に響いた。(つづく)