小説 黒人の死ぬ時(3)

丸長が時計を見ると、0時50分を指していた。

「特別室なんだな。この黒人さんはVIPかい?」

「なんでもアメリカの俳優さんらしいです。奥様は日本人ですが」

「子どもさんいるの?」

「確かいらっしゃったはずです」

「やっかいな病気に罹っちまったもんだな」

話ながら、丸長は心臓を動かす。特別室の大窓からは、冬の綺麗な星空を一望できた。

「やあ、星が綺麗だな。あれはオリオン座かな」

「確か今夜は、どこかの流星群が来ているとか、聞いたような気がします」

「お前、そういうの、詳しいのか」

藤壷ははにかみながら、首を横に振る。

「小耳に挟んだだけです」

丸長は手を休めて、心臓を観察していた。鮮紅色の心臓の表面には、初めと同じに心筋の痙攣による波紋が走るだけで、自力で血を送り出す鼓動はなかった。

「どうですか」

「まだ駄目だ」

丸長は手を右手から左手に変えた。

「大体、どれくらいマッサージしていれば戻るんですか」

「いろいろだね」

「いろいろって」

「10分以内に戻るのもあるし、30分経っても戻らないものもある」

「戻らない時は」

「死ぬんだよ」

藤壷はマイケルの顔を見た。

「この黒人さんはどうですか」

「さあ」


丸長は時計を見た。そろそろ1時を過ぎようとしていた。

「もうそろそろ20分経過ですね。いつ頃までやるんですか?」

「まあ、30分やって駄目なら、諦めた方がいいだろう」

「諦めたことがありますか」

「一人ね、でもその時は俺は心臓係じゃなかったからね」

「じゃ、何をしていたんです」

「お前と同じさ」

「呼吸係」

「そうさ、心臓係がもう駄目だと言ったから、俺もバグを圧すのを止めたけどね」

「あまりいい気持ちはしないでしょう」

「死んでいい気がするわけがないさ。でも心臓の方がどうしても恢復しないんだから、仕方なかった」

「そうですね」

「とにかく、死ぬ話はしない方がいいよ」

「ええ」

部屋に看護師が入ってきて言った。

「家族の方が到着しました」

「20分ほど前に心臓が止まって、蘇生中だと伝えろ」

丸長が低く言った。

「どうしても、本人様に会いたいとおっしゃってます」

「断ってくれ」

「でも、是非と」

丸長はドアの方を振り向いた。瞬間、彼は低いが鋭い声で叫んだ。

「ドアを閉めろ」

厳しい声に看護婦は慌てて、わずかに開いていたドアを閉めた。

「家族が中を覗いているじゃないか」

「済みません」

「中に入れてはいかん」

「でも」

「蘇生術は家族の前でやるものじゃない」

「・・・・・」

「家族が入ると、やりたいこともできなくなる」

「それじゃ、どのように」

「駄目だといえ」

「もう何度もお断りしたんです」

「もう一度断れ」

「じゃ、先生が断って下さい」

「馬鹿野郎」

もう一度、丸長が怒鳴った。看護師は顔をそむけ、藤壷は立ち上がった。

「俺がどうして手を離せるんだ、この手を」

丸長は空いている方の手を宙でふりまわした。

「寝呆けたことをいうな」

看護師はドアを背に頭を垂れていた。

「今大事なところだから、もう少し待つように言って」

藤壷が丸長の怒りをなだめるように言った。わかったのか、看護師は黙って出ていった。

「あいつ、内科の看護師か」

「そうです」

「いらいらさせる」

怒った間も丸長は一分間60回のペースでマイケルの心臓を揉み続けていた。

看護師が部屋を出て、ドアの外で二、三話し声が聞こえたが、それもすぐおさまった。大窓から見える美しい星空は、そのままだった。(つづく)