丸長が時計を見ると、0時50分を指していた。
「特別室なんだな。この黒人さんはVIPかい?」
「なんでもアメリカの俳優さんらしいです。奥様は日本人ですが」
「子どもさんいるの?」
「確かいらっしゃったはずです」
「やっかいな病気に罹っちまったもんだな」
話ながら、丸長は心臓を動かす。特別室の大窓からは、冬の綺麗な星空を一望できた。
「やあ、星が綺麗だな。あれはオリオン座かな」
「確か今夜は、どこかの流星群が来ているとか、聞いたような気がします」
「お前、そういうの、詳しいのか」
藤壷ははにかみながら、首を横に振る。
「小耳に挟んだだけです」
丸長は手を休めて、心臓を観察していた。鮮紅色の心臓の表面には、初めと同じに心筋の痙攣による波紋が走るだけで、自力で血を送り出す鼓動はなかった。
「どうですか」
「まだ駄目だ」
丸長は手を右手から左手に変えた。
「大体、どれくらいマッサージしていれば戻るんですか」
「いろいろだね」
「いろいろって」
「10分以内に戻るのもあるし、30分経っても戻らないものもある」
「戻らない時は」
「死ぬんだよ」
藤壷はマイケルの顔を見た。
「この黒人さんはどうですか」
「さあ」
丸長は時計を見た。そろそろ1時を過ぎようとしていた。
「もうそろそろ20分経過ですね。いつ頃までやるんですか?」
「まあ、30分やって駄目なら、諦めた方がいいだろう」
「諦めたことがありますか」
「一人ね、でもその時は俺は心臓係じゃなかったからね」
「じゃ、何をしていたんです」
「お前と同じさ」
「呼吸係」
「そうさ、心臓係がもう駄目だと言ったから、俺もバグを圧すのを止めたけどね」
「あまりいい気持ちはしないでしょう」
「死んでいい気がするわけがないさ。でも心臓の方がどうしても恢復しないんだから、仕方なかった」
「そうですね」
「とにかく、死ぬ話はしない方がいいよ」
「ええ」
部屋に看護師が入ってきて言った。
「家族の方が到着しました」
「20分ほど前に心臓が止まって、蘇生中だと伝えろ」
丸長が低く言った。
「どうしても、本人様に会いたいとおっしゃってます」
「断ってくれ」
「でも、是非と」
丸長はドアの方を振り向いた。瞬間、彼は低いが鋭い声で叫んだ。
「ドアを閉めろ」
厳しい声に看護婦は慌てて、わずかに開いていたドアを閉めた。
「家族が中を覗いているじゃないか」
「済みません」
「中に入れてはいかん」
「でも」
「蘇生術は家族の前でやるものじゃない」
「・・・・・」
「家族が入ると、やりたいこともできなくなる」
「それじゃ、どのように」
「駄目だといえ」
「もう何度もお断りしたんです」
「もう一度断れ」
「じゃ、先生が断って下さい」
「馬鹿野郎」
もう一度、丸長が怒鳴った。看護師は顔をそむけ、藤壷は立ち上がった。
「俺がどうして手を離せるんだ、この手を」
丸長は空いている方の手を宙でふりまわした。
「寝呆けたことをいうな」
看護師はドアを背に頭を垂れていた。
「今大事なところだから、もう少し待つように言って」
藤壷が丸長の怒りをなだめるように言った。わかったのか、看護師は黙って出ていった。
「あいつ、内科の看護師か」
「そうです」
「いらいらさせる」
怒った間も丸長は一分間60回のペースでマイケルの心臓を揉み続けていた。
看護師が部屋を出て、ドアの外で二、三話し声が聞こえたが、それもすぐおさまった。大窓から見える美しい星空は、そのままだった。(つづく)