シリコンバレーから将棋を観る/梅田望夫作

「シリコンバレーから将棋を観る」(梅田望夫作)を読んだ。まるちょうは、将棋が大好きです。でも以前Blogに書いた通り、「将棋を指す」ということを諦めた将棋ファンです。勝負に没頭する負荷が、躁うつの波の振幅を大きくさせてしまう。だから健康のために、すっぱりと指すのは止めた。詰将棋と観戦で行こうと。現在、詰将棋はぼちぼち楽しんでいます。観戦は・・あまり真面目じゃないかな。一番したいのは、タイトル戦を盤に並べて味わうことなんだけど、全然やる暇なし。辛うじて、羽生さん絡みのタイトル戦を、ネットやテレビで少し眺める程度か。このあたりは、とても歯がゆい感じ。そうした時、本書に出会った。梅田さんいわく「別に指さなくていいじゃん」と。将棋の楽しみ方として「ただ観て面白がる」というスタイルがあっても、全然いいじゃないかと提案されるのね。そこで私は、とても心安らかになったのです。


まず、ある人物を紹介したい。梅田さんをして「この人を語らずして、将棋をめぐる言葉について考えることはできない」と言わしめる棋士が、故・金子金五郎九段(1902-1990)である。金子九段は一般に、それほど有名な棋士ではないが、将棋に欠かせない解説と観戦記の執筆への情熱、作品としての達成という観点で、将棋史に燦然と輝く存在なのである。若き日には名人位を争うほどの名棋士だった金子九段。しかしどんな名棋士でも勝てなくなる時が来る。その頃の心情を「将棋評論」という雑誌の中で吐露している。

しょせん、勝てない棋士と数年前より自覚した私はせめて「負け切れる棋士」になりたいと思つた、「負け切れた」ら対手を愛し将棋を愛し闘ひをも鑑賞し、生活をも愛せるに至ると思つた。

私みたいな「中途半端な将棋ファン」がこう言うのもおこがましいけど、なんて「実直で凄絶」なんだろうと思った。愛する将棋を「負け切れた」時点から、更に愛していこうとするこの姿勢。そしてその将棋への「血がにじむような」愛情を、生活(=人生)にまで押し拡げるという姿勢。突拍子もないようだけど、小説「罪と罰」における、ソーニャを連想してしまった。本当の情熱というのは「一見終了した時点」から、それこそ地の底から、更に湧き上がってくるものだ。

将棋は今よりもつと多くの人々から眺められていいものである。特に心理的な面からの鑑賞である。「此手は如何なる手か」の問題は科学的な検討であり、「此手は何故、指したか、」即ち着手以前は「手」が蔭に潜んでいる心理的な動きが問題になる。高段者の棋戦の鑑賞には常にこの二つの事柄を総合した観方をせねば完全でないのである。

このご意見に、まるちょうは激しく同意したい。将棋は、指した人間なら分かるが、相当な「心理戦」なのである。この「対局者の心の動き」を綿密に追うと、本当に面白い。あるいはタイトル戦など、番勝負における一局ごとの心理的な流れとか。いつだったか、羽生ー森内の名人戦で、羽生が必敗の局面で、森内に決め手を与えず延々と粘り続け、最後にひっくり返した勝負。あの時の羽生の「ここだけは譲れない!」という究極の執着心が忘れられない。あれ、当人は地獄の苦しみだと思うんです。そこを耐えて粘り切るという、常人では計り知れない心の強さを感じる。

梅田さんは述べる。「一局の将棋は、さまざまな言葉によって補われる必要がある」と。例えば、野球なんかはテレビを観ていて、実況と解説がつく。そこである程度「言語化」が行われているわけね。適切な言葉で補われて、実際の試合に「深み、奥行き」が付加されていく。だから、よい実況、解説というのは、スポーツ観戦を楽しむには重要なポイントなのだ。勝負の「より的確で多角的な言語化」が行われれば、「野球をやる」に対する「野球を観る」と、「将棋を指す」に対する「将棋を観る」とが、近い意味になってくる。そして梅田さんは言う。例えば、別の芸術に対する審美眼を持った人が、必要な将棋の知識と素晴らしい解説を得たときに、将棋の強い人よりも「見巧者(みごうしゃ)」になる可能性は十分にあると。

さて最後に、まるちょうの現状について。見巧者になれるかどうかはともかく、もっとプロ棋士の対局を楽しみたい。今なんか、全然そういうモードになってないし。今春の名人戦七番勝負も、2-2のタイで迎えた第五局が京都で行われたんだけど、結局行かなかった。行けなかったというより、行かなかった。もし行ったら、多分体調を崩していただろうから。持病を持ってるし、仕事もあるしで、仕方ないし歯がゆいけど、現在はこんなもんかと諦めている。この前のNHK杯決勝(羽生ー渡辺のゴールデンカード)でさえ、録画したはいいけど、体調を壊して、結局観たのは更に一週後くらいだったか。そんなもんなんです。でも、もっと将棋に対して本気になりたいという願望は捨てません。中学の時のT先生曰く「仕事も遊びも真剣にやれ」と。そういう意味では、もう少し将棋に対して「真剣」になるべきだと反省する今日この頃です。以上「シリコンバレーから将棋を観る」をネタに語ってみました。