外来での失敗について

最近「言葉で治療する/鎌田實作」を再読していた。まえがきにこうある。「病にかかったとき、患者さんと家族は医師や看護婦からかけられる言葉しだいで、治療を受ける日々が天国にも地獄にもなる」と。鎌田先生は、日本の医療における「コミュニケーション能力の劣化」を心配しておられる。まるちょうは外来において、日頃から丁寧な説明を心がけている。自分で言うのもなんだけど、患者受けはいい方だと思う。ただ、ごくたまに「しもた~!」という失敗をやらかしてしまう。ホントに頭を抱えるくらいの失敗。つまり、普段は言葉で癒している人間が、言葉で患者さんを傷つける側に立つことになってしまう。どの仕事でも同じでしょうけど、医療は特にこの罪が大きい。だって「傷に塩をすり込む」ような行為をしてしまうわけだから。最近、ちょっとした思い違いで、患者さんの心を傷つけた(かもしれない)事例があった。自戒の意味も込めて、Blogに書き留めておきたいと思う。


あれは冬だったか? 処置室で横になっている、30代前半の女性を診た。胃痛と嘔吐があり胃カメラを実施したが、検査後に気分不良となり、処置室へ。ベッドサイドへ行ってみると、過呼吸になっている。不安感が強そう。胃カメラの所見としては「びらん性胃炎」くらい。びらん自体も大したことはない。とりあえずそのことをちゃんと伝えて「安心して下さいよ」と声かけ。そして、アタP筋注して出直し。そのまま外来業務を進めて、30分後くらいに再びベッドサイドへ。すると過呼吸は収まって、ちゃんと話の出来る状態になっていた。話を聴くと、夫との不仲があるらしく、小さい子供を連れて実家に帰ってきていると。付き添いは実母だった。十分傾聴して、点滴と胃薬を処方して、三週後に再診とした。女性の表情には、過呼吸の時から比べると、格段に安心感がみてとれる感じだった。

こうした精神的な側面をもつ患者さんの場合、客観的な判断はもちろん大事だけど、傾聴をベースとする「ラポール形成」がとても大事。ラポール形成とは、治療者と患者の間に形成される信頼関係で、医療行為を受け容れていただくために必要。とくに不安感や不信感が強い人は、これがちゃんとできていないと、いくら薬や点滴をしても、思わぬ逆恨みや断薬などが生じたりする。

私としては、忙しい最中だったけど、上記の患者さんにラポール形成は出来ていたと思う。過呼吸を適切に止めたという実績が、この場合大きい。三週後に再診されて、またゆっくり話を聴こうと思っていた。ところが、である。三週後に受診されたのは、実母だった。本人さんは、その後、胃の調子は悪くないんだけど、家から出られなくなっているらしい。相変わらず、不安感が強いようだ。夫との連絡はない。子供は一歳半。まだ離乳出来ていない。

お母さんは、とりあえず胃薬をもらいにいらっしゃった。ただ、お話を聴いていると、本人さん(娘さん)は、どうもパニック障害の疑いがある。やはり精神科あるいは心療内科へ受診した方がいいのではないか、などとアドバイスしていた。でも、精神科の薬を飲むとなると、授乳はやめるべきかもしれない。一歳半という年齢を考えると、もう人工乳でもいいんじゃないかという話になった。あれこれ話しているうちに、実はお母さんと娘さんが母子家庭だったことが分かった。

この流れで、私は昨年8月8日のBlog「女性は男性にとって”コドモ”なのか?」の論旨を思い出していた。要するに「母性をいつまでも発揮する母親に対する懸念」ですね。私という人間は、どうも「母性という束縛」に対するコンプレックスがあるようだ。ある意味で偏見である。その延長線上で、ふとその母親に「一歳半になってまだ母乳なんて、離乳が遅すぎます。現実に離乳の必要性もあるんだから、早めに人工乳に切り替えた方がいい」と言ってしまった。あるいは「育児なんて、いかに親と子が分離していくかなんですよ」みたいなことも口走ったような気もする。お母さんは黙って聴いておられた。特に反論するでもなく。ちょっと呆気にとられていた感じさえあった。

その時は、自分の言うことに疑問を持っていなかった。帰宅して、お蝶夫人♪にそのことを話す。すると「そんなんおかしい。お母さんは子どもにたっぷり愛情を与えるべきだし、たっぷりだっこして甘えさせてあげるべき」との、手厳しい意見をいただいた。確かに正論である。そして離乳も、一歳半よりも遅くなることはあるとのこと。まぁ、本症例は精神科的な投薬が必要になるかもしれず、離乳できればそれに越したことはないんだけど。ただ「育児における視点」が、全然間違っていた。少なくとも、分離なんて言葉を使うべきではなかった。ここで「やってもた~」になったわけ。あれ以来、そのお母さんと娘さんは受診されていない。もし受診されたら、平謝りするつもりだったけど、それもできない。嗚呼、もやもやした結末なり。

総括。「言葉で治療する」というのは、臨床医のひとつの理想だろう。私だって、いつもちょっとでもいい言葉を患者さんにかけられたら、と思っている。でも、医師は神様ではない。その時のコンディションで、軽率な言葉を発したりする。上記の30代の女性とそのお母さんには、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。あの言葉は、お母さんの心の琴線を乱して、育児における罪悪感を煽りかねないものだった。なんのプラスもない言葉。Blogにこうして告白して、懺悔いたします。ちょっと重くなりましたが、外来での失敗について書いてみました。