夫婦喧嘩をコントロールするには?

村上さんのQ&Aのコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、まるちょうなりに考えてみる。

<質問>夫婦喧嘩したときに、自分が悪くないと思っても、場をおさめるために自分から謝ることがありますか? 35歳既婚、会社員、スナフキン似。

<村上さんの回答>そんなの当たり前じゃないですか。いちいち質問するほどのことでもないです。

<まるちょうの考察>なんという短いやりとり。しかし内容はとても重い・・と思う。村上さんの回答の仕方(短さも含めて)に、一種の「苛立ち」を感じ取るのは、私だけだろうか? 「そこはあまり深く入りたくないんだ」的な。

夫婦喧嘩という問題。この点においては、さすがの村上さんも人の子。どんなに仲のよい夫婦であっても「喧嘩ゼロ」とはならない。むしろ「喧嘩するほど仲が良い」という逆説的な文句もあるくらいだし。要するに、結婚生活と諍いはセットなのだ。「あきらめが肝心」とはよく言ったものだ。「自分が悪くないと思っても、自分から謝ってしまう」というのは、まさにそれだ。この行為の根本には、夫婦関係における「諦念」があると思う。一面でとてもスマートだが、あまり後味がよいとは思えない。

サッカーの中田英寿がこう言っている☞「怒りはモチベーションを下げるし、だいたい、俺はゲームが中断するの好きじゃない。それにさ、怒るのって体に悪そうだよね」☞つまり、頭のいい人はこういう考え方なんだな。「怒りを爆発させること」のマイナス面を、冷静に捉えている。村上さんも、たぶん同様の考えだと思う。賢い人は、爆発よりも自粛を選ぶのだ。自分の意見を引っ込めて、相手の意見を尊重する。そうして、丸く収まる。


そもそも、夫婦の諍いはなぜ発生するのか? まるちょうの持論では「近いから」に尽きると思う。異なる自我が「空間的、時間的、精神的、経済的に」あまりにも近いから、喧嘩になるのだ。愛し合っているから結婚する。そして男女は「より近くなり」幸せになる、そこまではいい。しかし、究極的に二人は他人なのである。お互い、各々の価値観、習慣、得手不得手を持った個人なのだ。そうした「違う個性」が接近したら、軋みが起こるのは当然である。高齢の夫婦ほど諍いが激しくなるという説があるが、それは年月ともに「自我が次第にむき出しになる」からだと思っている。伝説的な「チャーミーグリーンのCM」は、あくまでも幻想に過ぎない。

だから、この宿命的な諍いを「コントロールする」ためには、距離感が大事なのだ。そう、距離感。「相手が悪いと思っても、自分から謝る」というのは、ボクシングでいうところの「スウェー」である。相手の射程内に入らないという知恵ですね。できるだけ「打ち合い」を避けること。「大喧嘩になる前に、一晩寝て怒りを冷ましなさい」という教えがあるが、これは時間によるリセット効果を表している。つまり、二人の距離が元に戻るのね。あるいは、中高年の夫婦の寝室がよく別室になるのも、ある意味で仕方のないことだと思う。一種の「処世術」というかな。

そうそう、最近では例の船越英一郎と松居一代の別居騒動なんて、最たるもんだよね。あれは松居さんがその強い愛情でもって、夫に近づきすぎるのね。だから船越さんは逃げていった。何度も言うが、夫婦で大事なのは「距離感」。妻の愛って、束縛だけではないと思う。信頼して解放することも必要。松居さんには、これまでの半生で積み重なった「不安感」があるんだろうか。お二人はお似合いのカップルだと思うし、また「距離感のコントロール」を取り戻して、やり直して欲しいと思うが・・ 私見だけど、松居さんは一度、精神分析療法とか受けてもいいかも。超自我ー自我ーエスの関係が、ちょっとエキセントリックな印象を受ける。

夫婦喧嘩の最大の犠牲者は、子供だと思う。常時ギスギスした家庭には、情緒性の点で問題のある子どもが育つ可能性はある。おそらくその一点だけでも、夫婦喧嘩の暴発を食い止める意味はあるだろう。つまり、村上さんの言う「スウェー」は必要です。もちろん「距離を縮める=愛する」という本来の意味は忘れてはいけない。距離を縮めたり、スウェーしたり、あるいはリセットしたり、そうした「技巧」は必要だよね。そう、結婚生活は「純情」だけではとうてい持ちません。どこか技術的な要素は必須だと思う。なぜなら、結婚生活は「作り上げるもの=形成するもの」であるが故に。三木清曰く「形成は断念である」と。断念することをほんとに知っている者のみが、ほんとに希望することができる。冒頭の「すぐに謝ってしまう」という行為も、ある意味で「断念」ですね。夫婦生活を築いていくための種々の「断念」を、今一度考えてみてもいいかもしれません。最後はちょっと難しくなりました。村上さんのQ&Aのコーナーでした。