うつ病新時代/内海健(1)

「うつ病新時代」(内海健 作)を読んだ。副題は「双極2型障害という病」。Blogで何回か触れましたが、まるちょう自身がこの病を持っています。漠然と「躁うつ病」として治療されていた2007年、読売新聞の記事がきっかけで、自分が「双極2型」という分類に属することを知る。それ以後、「双極2型」という疾患について、詳しく解説した本を探していた。本作はAmazonでふとしたきっかけで見つけた書籍で、レビューがかなりよい。直観でとりあえず購入☞しばらく書棚に寝かせていたが、読んでみて驚いた。まさに自分が求めていたものだったから。「双極2型」の臨床像、病前性格、そして気分障害の歴史を振り返り、疾病としてのアイデンティティを探っている。とてもアカデミックな内容で、文体も高尚かつ難解だけど、とても面白い読み物だった。これから何度も読み返すことになると思う。次のふたつの軸で語ってみようと思う。できるだけ、自分の経験や思考を交えながら。

#1 双極2型障害のキモ

#2 時代との呼応





今回はまず、#1から。まず、双極2型障害の定義を載っけておく。

うつ病相に加えて軽躁病相がみられる気分障害の一型である。「軽躁」という名が示すように、本格的な躁病相までには至らない。その点において、古典的な躁うつ病(双極1型障害)とは異なるとされる類型である。

いみじくも、第二章のタイトルは「軽躁というデーモン」となっている。これ、言い得て妙なんだな。「軽躁」という病相は、患者、治療者、周囲の人々を混乱の嵐の中へ巻き込んでいく、まさしく悪魔である。まるちょうは1992年に罹患して、文字通り「地獄の渦の中」に巻き込まれていった。その頃は「双極2型」という疾患概念もなく、まさに「羅針盤を失った人生」だったと言える。私の病型はうつ病相がメインで、頻繁(二、三週に一度)にやってくるタイプだった。ようやく自分の「軽躁成分」に気付いたのが、冒頭に記した2007年。発症から、なんと既にして15年経過していた。軽躁という成分は、それほど患者が自覚しにくい、あるいは治療者が指摘しにくいシロモノ・・すなわち、デーモンなのです。治療者が「双極2型障害」という疾患を熟知していないと、なかなか「軽躁」は患者から聞き出すことができない。そして、治療者は、うつ病相に苦しむ患者を見かねて、つい安易に抗うつ剤を処方してしまう。それが躁転へのきっかけとなる危険性も知らずに・・ 

本書ではDSM-4という「診断のプロセスのマニュアル化」について、批判的に書いてある。「誰が診断しても同じ=平均化、平易化」という目的のため、診断技術における「深さ」「質」「個性」というものが、削ぎ落とされる。もしかりに精神科医がDSM-4のレベルで安住して、自分の技術を研ごうとしなければ、精神医療は危機的状況に陥るだろう。いや、すでに危ないかもしれない。双極1型の「躁」と双極2型の「軽躁」を、精確に見分けるためには、まさに「熟練」が必要なのだ。DSM-4のような浅薄なレベルでは、上記のような「つい安易に抗うつ剤を投薬して躁転☞自傷の行動化」という現象が多発するだろう。

軽躁のデーモンたるゆえんは、他にもある。「躁」なら遂行できない作業も「軽躁」なら遂行可能なのだ。むしろ悪魔的な洗練をもって、遂行してしまうことさえある。本書に出てくる有名人としては、ニキータ・フルシチョフ(元ソ連元首)、遠藤周作(作家)、中島らも(作家)、ゲーテ(作家)等々。まるちょうの実感としても「軽躁の快感」は、当人にしか分からない、と言いたい。思念の適度な閃きと、思索の精鋭化、自己への没入、そして生産することの充実感。一種の無我、没我に近いと思う。仕事が終わり、深夜に独りBlogを書いている時は、大抵こうした状況で書いています。だから、作家とか多いのかな?(笑) そうそう、Blogを書いている時は大抵、音楽を聴いています。癒し系のジャズが多いかな。思うに「軽躁」という状態は、主に右脳の活性化に伴う現象なのかもしれない。書くという作業は、言語脳である左脳が働くプロセスだと思うんだけど、これはどう解釈したらいいか、分からない。でも、Blogで「キメの文章」が書けた時のエクスタシーは、疑いもなく私を癒している。

ともあれ、以上のように患者にとって「軽躁」は、キモチイイものなんです。だからこそ、うつ病相に精神科を受診して「軽躁エピソード」について改めて問われても、ハイとは言いにくいのだ。本人としては「軽躁状態にある自分こそが理想の人格」なのであり、それを病気扱いされるのは、甚だ不本意だから。まったく困ったもんである。だから何度も書くが、患者から「軽躁成分を探り出す」という作業は、極めて深い洞察力や注意力が必要と思われる。マニュアル化した技術では、到底太刀打ちできないのです。

その他に筆者が提案するものとして、臨床プロフィールや病前性格など、面白い内容があるのですが、あえて省略します。あまりにも専門的になりすぎて、一般受けしないと思うから。今回はひとまずここまで。次回「時代との呼応」というお題で書いてみます。