ひさびさに「漫画でBlog」コーナー! 短編漫画をネタにBlog書いてみる。今回は「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」より「荘厳な残像」という作品を選ぶ。まずはあらすじから。
主人公「次郎」は、ミッション系大学の教授。焼き鳥屋のオヤジである兄から、息子の入学に関して便宜を図るように迫られる。実際はコネと金で決まることを知っている兄。でも次郎は、断る。その理由が語られる・・
次郎は苦学生だった。生活費を稼ぐためにバイトの日々。その合間をぬって授業を受ける。ひとり、学生に対して特に厳しい教授がいた。次郎はその教授の単位だけが、どうしてもやりくりできなくなる。そこで、バイトのために授業に半分しか出席できないということを正直に告白する。「出席できる半分の授業は、誰よりも真面目に受講して、試験も合格点を取るので、出席の方は大目にみてほしい」と。しかし、教授は次郎を一喝する。「バカ者! 授業を一割以上欠席した生徒は、絶対に卒業させん!」と。
事態は絶望的だったが、なぜか自分の言葉を忠実に実行する気になる。出席できる半分の授業は、誰よりも真面目に受講した。そして試験。試験の出来は惨憺たるものだった。でも、次郎はあきらめず答案用紙に向かう。そして気づいたら、教室は自分一人になっていた。「君以外は、皆あきらめがいいか、よほどの自信がある生徒というわけだ」と微笑みかける教授。
その年の教授の試験は例年にもまして厳しく、なんと三分の一の生徒が落第だった。しかし、次郎は満点だったのだ。教授に泣いてお礼する次郎。「僕が満点であるわけがありません」と。「バカ者、私の採点に狂いはない。君はよく頑張った。満点の答案だった」と教授。「私も昔は苦学生だった。今の私になれたのは、自分の頑張りもあるが、何よりも世の中を信じたことが大きい。・・信じられる大人になりなさい」こう言葉を残して立ち去る教授。
次郎は兄にこう話す。実際はうちの学校は腐敗している。でも、何も知らずに学校に入ってきた子供たちに、信じられる大人もいるんだってことを教えてやりたいんだ。だから、どうしてもうちの学校に入りたいなら、ちゃんと入学試験を受けて、合格点をとって入ってくれよ。自分の子供の力を信じて欲しい。疑うことよりも、信じることのエネルギーの方がはるかに大きいんじゃないかな? ・・一人になり「そうだな、そうかもしれん」とつぶやく兄。
次郎の恩師が残した言葉・・「世の中を信じる」ってどういう意味だろう? 本作の冒頭で、次郎の少年時代が描かれる。大衆酒場でクダを巻く男たち。汗と油にまみれた労働の臭い。底抜けの明るさと活力。少年の次郎は、そうした風景をすべて「見せかけのもの」と感じていた。中学生になり、洗練された「正しい」大人を目にするようになり、次第に自分の故郷を軽蔑するようになる。しかし「バカ者!」と次郎を叱り飛ばした教授の眼に、彼はその故郷の男たちの風景を見ていたのだ。教授の眼はあの時の大人と同じ眼だったのだ。
まるちょうなりの解釈を述べる。少年の次郎が軽蔑した大人の眼には、何が宿っていたか? ずばり「不完全さ、弱さ、そして寛容さ」だと思う。もっと言えば「相手を許す優しさ」だ。自分の弱さを心の底で認知していて、だからこそ相手の間違いを責めずに許す「眼」だ。次郎は論理ではなく本能で、そうした「眼」を信じることができた。そうして、次郎はあれほど軽蔑していた「洗練されないプロレタリーの臭い」を、考え直すことになる。あの街とあの人々の明るさとエネルギーの意味を、ようやく知ったのだ。
まるちょうの思うに、信じるという行為って、本質的に「阿呆になること」である。阿呆になってノーガード戦法で生きる。これは大変に勇気の要ることだ。でも、信じるという行為は、そうしたリスクに伴う不安を振り捨てることだ。そこで一番肝要なのは、おそらく論理ではなく本能なのね。その人の無意識の領域に眠る嗅覚だ。次郎だって、これといって根拠もなく「授業を半分捨てて半分を真剣に受講する」という行動に出たのだ。「自分でもどうしてそうしようと思ったのか、不思議だった」とある。でも最終的に次郎は自分の直感を信じ切った。信じるということ・・疑うよりもはるかにエネルギーの要る行為である。それに伴うリスクも大きい。今は亡きS.Jobsの有名な言葉を記しておく。
今やっていることが、どこかに繋がると信じて下さい。何かを信じて下さい。あなたの根性、運命、業なんでも構わない。その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いていても、自信を持って歩き通せるからです。それが人生に違いをもたらします。
結局、何かを信じなければ、何も起こり得ないのだ。そしていったん信じたら、それをやり遂げるまで信じ切ること。そこである意味「阿呆になる」というプロセスが必要になってくる。自分を信じて、世の中を信じること。もちろんエネルギーは要るけど、そうじゃないとどこにも到達しない。
最後に、教授の言う「信じられる大人になりなさい」という言葉を噛みしめる。青少年が抱く「どうせ大人なんて嘘つきだし」という負のイメージ。マスメディアから垂れ流される「散乱した虚偽の数々」。 子供にとっては、何をどう信じていいか分からない社会である。だからこそ、世の大人は「信用に足る人」となるように、努力しなければならない。まるちょうも、肝に銘じたいと思ったのでした。
以上、短編漫画をネタに書きました。