近況その弐

昨日の続き、近況みっつめ、いきます。

みっつめ。24日のCTの速報は、すでに書いた通り。今回は、その日の詳細を書いてみようと思う。心理的な描写も入れつつ・・

当日、草津市内の総合病院で、午前9時15分から胸部CTだった。超早期肺がんの疑いということで、8月に指摘された当初は相当にうろたえた。臨死だの、キュブラー・ロスだの・・今考えると、何だったのかな?と言わざるを得ない。でも冷静に分析すると、定型的な「否認、怒り、抑うつ→受容(取引はなかったように思う)」すべてが一週間にコンパクトに詰まっていた気がする。いったん受容してしまうと、死の恐怖は無意識の中へ抑圧される。でも、私にとって9月と10月という二ヶ月間は、無意識の中に「死の恐怖」を抱えた、とても危うい期間だったとも言える。


話を進める。CTを淡々と撮影して、結果説明までの時間。ざっと40分くらい待たされたかな? この時間、実にいろいろなことを考えた。まず、担当医への質問事項。自分を医師と名乗るかどうか。そしてクロだった場合の段取り。まずは病院選びからだな~ 胸腔鏡下の手術の得意な病院を探す必要がある。でも、自宅からあまり遠いと不便だし。看護が手薄なのも嫌。京都は遠いな~ やはり滋賀か・・するとK病院、S病院、I病院・・どれがいいか。K病院外科で勤務する同期のT先生にも意見を聞いておく必要があるな。内情を知ってるわけだし。それと、親族への通知の件。電話ではアレだし、両家に実際に出向いて説明する必要がある。そして勤務先への説明。これが大変。やはり二週間くらいは休業までの猶予が欲しいだろう。すると、手術日は11月中旬くらいか。師走までには済ませたいよな。そうそう、入院期間がどれくらいか。なにしろ私は非常勤医師なので、入院期間中は収入ゼロなのだ。家計が崩壊する。手術以外に放射線治療の選択肢を考慮する必要は・・

思考が無限ループに入り、ぐるぐる回っている最中に、名前を呼ばれて診察室に入る。CT画像が映し出される。一目で8月と不変であることが分かった。消失はしていないが、不変。例の微小なすりガラス影や胸膜陥入像もそのまま。まずはホッと一息。担当医も「悪性の可能性はかなり減った」という表現。個人的には「結核の微小な陳旧性陰影」という印象。まずはホッとした。四ヶ月後にCT再検の予約を入れて、終了。結局、自分が医師であることは伝えなかった。その必要はないと思ったから。退室間際に「先生は癌である可能性は何パーセントくらいと思われますか?」と、突っ込んだ質問をしたけど、言葉を濁された。ま、それは言いにくいわな。責任があるしね。

まずは自宅で待機するお蝶夫人♪に、メールする。安心させようとメールしたんだけど、質問が矢継ぎ早に来るので「帰ってから詳細言うよ」と返信して、車に乗る。お蝶夫人♪は、この件についてはずっと、わりとクールな態度だった。私としては、自分のことで精一杯で、彼女は「よき傍観者」的な立ち位置だったと思う。私の感情の浮き沈みから、一歩引いて冷静に対処する。実は私の双極性障害に対しては、そういう態度である。家族はうつ病の当人の浮き沈みに同調してはいけない。それでは家族が参ってしまうから。これはすでに定説となっている事項。

だから、本件でも極めて冷静に振る舞っていた。帰宅したら、彼女は買い物に出かけている。しばらくして彼女も帰宅。あまり言葉もない。検査結果について訊いてくる風でもない。だんだん腹立たしくなって、口調が激しくなる。「座って検査結果について訊けよ!」

それから、あーだこーだあって・・ 彼女は泣き出した。さめざめと。結局のところ、私のことを誰よりも心配して、心を痛めていたのは、紛れもなく彼女だった。初めは呆気にとられたけど、すぐに状況を把握して、彼女を抱きしめた。心配かけて、ごめん。申し訳ない。・・以下、略(全部言うとるがなw)。

以上が24日の顛末です。振り返ると、10月という月は鬼門だった。双極性障害という病気にとっては特に。上記の肺がん疑い、ダイゴの受験、診療所での過労→事務長さんとの会談、「ツレがうつになりまして。」の鑑賞→Blog作成。一番最後のは「それは楽しみじゃないか!」とおっしゃる方もおられると思いますが、違うんです。双極性障害は、強い喜びでも波が生じるんです。いわゆる多幸感というやつね。双極性障害という病気は、できるだけルーチンを守ることが原則なんです。波瀾万丈の10月を乗り切って、また頑張ろうと思う。お蝶夫人♪は、上記のような心労から風邪をこじらせて、まだ体調悪いです。家族で助け合って、やっていこうと思います。自分の病気について、泣いてくれる人がいるって、とてもありがたいこと。お蝶夫人♪に感謝します。もったいないことです。

以上、前回Blogと合わせてみっつ近況を記しました。