私にとっての「ドクターG」

最近、NHKの番組「ドクターG」というのを、よく観ている。専門化が進み、検査重視になりがちな現在の医療に変革をもたらそうという視点。Gは「general」の略で、総合診療にスポットを当てている。Webの番組紹介を引用しておく。

総合診療医が病名を探り当てるまでの謎解きの面白さをスタジオで展開する新感覚の医療エンターティメント番組。ドクターGが誰にでも思い当たるような症状で、見逃しがちな難しい症例をひっさげてスタジオに登場。実際にあった症例を再現ビデオで出題。全国から集結した選りすぐりの若き研修医たちがカンファレンス(症例検討会)形式で鑑別診断を行う。

まるちょうという人は、まさしく総合診療をやっている医者なわけで、ある意味ドクターGである。しかし、この番組を観るたびに、私は微妙な「ほろ苦さ、やるせなさ」を感じずにはいられない。この感情は、とても言葉に表しにくい。自己分析して、この辺の「あや」を文章化できたら、と思う。

この番組に出演する研修医は、みなピカピカで歯切れもよく、優秀である。彼らをメディアを通して観察して、自分の荒んだ研修医時代を無意識のうちに思い出してしまう。


まるちょうの研修医時代・・ひとことで言えば「地獄」という言葉になるだろうか。他の言葉が思いつかない。何の希望もなかった。今思えば、よく自殺しなかった。あの頃の「生きる重荷」を背負わされたら、10人に6人くらいは自殺するんじゃないか。まぁ、そんな定量的に「生きづらさ」を測れるわけじゃないけど。でも、それくらい辛くて深刻だった。生き残った要因は、自分が「阿呆だったこと」。頭のいい人なら、耐えられなかったに違いない。自分の前途にある絶望の深さに、耐えられなかっただろう。

話出すときりがないので、私の病名だけ記しておく。「双極2型障害」・・研修医当時は、難治性うつ病の中に埋もれていて、疾患概念として確立されていなかった。それゆえ、治療者も私も、もちろん周囲の人間も、誰もが私の病態を把握できていなかった。詳細はこちらをどうぞ。

番組に出演する研修医たちに対する私の感情は、したがって「妬み」なのかもしれない。いや、書いていて気づいた。まさにそうだ。自分で認めたくなかったので「ほろ苦さ」という表現に婉曲されていたんだと思う。もっと分析すると、自分のそうした荒んだ過去への「怒り」だったかも。「研修医時代に順調に研鑽を積めば、もっとマシな医者になれたのに」という悔恨。医師免許をとった頃の私の夢は「腫瘍内科医になること」。癌患者にしっかり対峙して、抗がん剤を使う専門家になりたかった。今や、叶わぬ夢だけど・・

私は1992年に上記の病気を発症し、2000年にある程度寛解するまで、医業はそこそこに、もがき苦しんだ。屈辱的であり、孤独であり、無力だった。もちろん、腫瘍内科医という希望なんか、どこかへふっとんだ。研修医になってすぐに「こけた」私は、系統的な医師としてのトレーニングを受けていない。総合内科をやるようになったのも、やりたくてなったわけじゃない。ぶっちゃけ、食うため。それに尽きる。1999年から総合内科にかかわり始めて、ずっと現場で実際の疾患に遭遇し、その度におののきよろけ、なんとかかいくぐってきた。そうこうして、今年で12年目になる。格好よく言えば「実戦派」だけど、野武士のようなキレはない。愚直に、しかし誠実に患者さんに相対してきた。幸運にも、訴訟沙汰になったことは一度もない。

ある意味「ドクターG」を観ることは、毎週自分の古傷に塩をつけているようなもんだ。もちろん、いい気分ではない。嫌がる自分がいる一方で「いや、やっぱり観るべきだ」と促す自分がいる。これは心理学的には「超自我」の働きだと思う。現在の自分の仕事は総合内科医であり、その研鑽はずっと続けなければならない。すなわち、現状の「自分の理想像」に近づこうとする心の動きなわけです。要するに、エスからは根源的な負の感情・・「妬み、怒り、悔恨」の再来におののきつつ、超自我からは「自分の理想像をあきらめるな」とケツを叩かれる。これがまるちょうの「ドクターG」を観ている時に起こる、心的事象なのです。自分で言うのもなんだけど、なんちゅう複雑な。

最後に、肝心の点を。ドクターGの診断をずばり当てているのか? それはやはり難しいです。総合内科医としての自分は、まだまだ未熟者だと思っている。だからこそ、出演している研修医たちと共に悩み、試行錯誤し、頭をフル回転させて、正しい診断に辿り着く。そのプロセスを楽しみたい。そういう立ち位置で「ドクターG」を観ています。あくまでも「勉強の場として」捉えています。以上「ドクターG」と自分の関係について、語ってみました。