ある告白

まるろぐをご覧のみなさまに、ひとつ告白をしてみたい。Blog以前の時代をご存知の方は「うらちょうの部屋」という隠しサイトで、すでに知っておられるかもしれない。私まるちょうは「双極性障害」という精神疾患を患っています。分かりやすく言うと「躁鬱病」。病歴は長い。ざっと18年。今回Blogでこの事を取り上げるのは、ある新聞記事との出逢いにより、自分の病気の「正確な病名、本態」を知るに至ったから。こうした時の「心の揺れ」というのは結局、経験者じゃないと解らないかもしれない。表現しようとすると難しい。いろんな感情の複合体だから。Blog書きながら、そうした感情の表現を考えてみたい。

その新聞記事とは、2007年6月頃に読売新聞に連載された「私のうつノート」という記事。筆者は龍野晋一郎記者。龍野さんが自分の双極性障害発症から休職、入院、復職などの経過を、率直に記したもの。この記事を目の当たりにして「あ! これ俺そのものやんか!」となったわけ。この時の心境はまさに「目から鱗が落ちる」という感触。過去の様々な「謎」が解けていく瞬間でもあった。後に、この龍野さんの記事をもとに「私のうつノート」という本が読売新聞生活情報部から出版される。龍野さんの記事は、私にとって宝物同然。すぐに購入した。


ここまで書いて「なんでこれをBlogにしようと思ったんだろう?」と自問している。単なる本の紹介じゃない。自分の病歴についてくどくど書くつもりもない。双極性障害についての知見を記したいだけでもない。2000年にHPを立ち上げた当時、「うらちょうの部屋」という隠しサイトで、ちょっぴり隠しながらも黙っていられず、自分の病気についてネットに公表した。その後Blog開始に伴い、いったん封印。でも「黙っていられない」という心情は、現在も変わりないかもしれない。この18年という長い時間に封じ込められた極めて複雑な感情は、本人でさえ分析しにくい。要するに今回は、2000年から約10年経過して、改めて自分の病気を見直してみたい、文章化して整理したいという事なのかもしれない。

さて、龍野記者の記事「私のうつノート」に戻る。龍野さんと私の一番の共通点は「双極2型障害」ということ。このタイプの双極性障害の特徴は、躁期の振幅が小さいこと。通常の躁病になると「常識を逸脱した行為」をやらかしてしまうのが常だけど、双極2型の躁期は、それほど目立たない。まるちょうは自分で言うのもなんだけど「自己抑制が強いタイプ」なので、逸脱した行為というのは出現しにくいのだ。でも、龍野さんの記事を読んで過去を辿ってみると、一週間くらいのうつ期の後、軽くハイになっていたことを思い出す事が出来た。「あの時のあれは、そうだったのか!」という感じだ。「氷解する」という言葉が、まさに相応しい。

18年という長い病歴の中で、担当医は五人。そして「双極2型障害」という具体的な病名を、その誰もから聞く事が出来なかった。私は偶然目にした新聞記事から、それを教わったのである。この奇妙な、しかし悔しい事実は、今も私の心を曇らせる。最初の地獄のような八年間、一番辛いのは「本当の病名が分からない」ことだった。羅針盤がないのと同じである。生きる方向性を見失っていた。だから、恨みはないと言えば嘘になる。でも「双極2型障害」という疾患概念自体が最近のものなので、仕方ないんだろうな。ただ、こうしたプロセスを経て「医療の限界」というものを肌で感じた気はする。

寛解している現在、敢えてこの病気を患ったメリットを挙げるとしたら・・ 

*両親に対する感謝の気持ちをもつ事ができた

*医療の限界を肌で感じ取る事ができた

*患者側の立場の苦労を身をもって経験できた

*うつ病患者の診断が普通の内科医よりも得意

*のっぺりとした自分の人生に、よい意味で「歪み」ができた


こんなところだろうか。いわゆるプラス思考ですな。特に「両親への感謝」は、大きいと思う。この病気になって、本当に親には心配をかけたし苦労もかけた。それにしても、大学を卒業して普通に医師への道を突っ走っていたら、どれほど高慢な医師になっていただろうか。「弱者へのいたわり」という医師に必要な資質を、多分おろそかにしていたに違いない。

最後に、2007年当時、龍野記者の記事を見てあまりに感動したまるちょうは、龍野記者宛に一通の手紙を出している。残念ながら返事はなかったんだけど、内容としては一読に価すると思われるので、今回公開します(→FBを参照ください)。もちろん、固有名詞は全てイニシャルやハンドルネームになっています。まるちょうにとってのプライバシー満載ですが、敢えてアップしておきます。

さて、次回は「うつ病」に関連して、神経伝達物質について書くつもりです。