女性にとって、男性は”コドモ”なのか?

お題を決めて語るコーナー! 今回は「女性にとって、男性は”コドモ”なのか?」というお題で、ちょっと語ってみたい。こう感じたソースは、実は二年前に読んだ「罪と罰/ドストエフスキー作」の一節である。一組の残念な夫婦が描かれる。カチェリーナという肺病やみの中年女とアル中の人間失格男、マルメラードフ。どちらもバツイチで、連れ子がたくさんいるのに、マルメラードフの野郎が全然働かないので、赤貧もいいところ。あげくの果てに、夫の連れ子であるソーニャが淫売に身を落とす羽目に。

そうした極限状況で、マルメラードフが昔の上司から久々、仕事をもらってくる。そうして最初の給料をそっくり持って帰った時、カチェリーナは夫の頬っぺたをつねくって、歓喜のひとこと。

「まぁ、なんてかわいい坊やちゃん!」
これを読んだときの違和感。ここを出立点として、話を進めてみたい。

まず真っ先に生じた感情は「男はかわいい坊やちゃんじゃない!」という反発だった。カチェリーナの言葉はあくまでも喜びを表現したものだが、その言葉の裏側に、まるちょうは男性への「卑下」を感じ取るのだ。実は上記の科白はずっと間違って記憶していた。「まぁ、なんてかわいいペットなんでしょう!」と勘違いしていた。今回改めて調べてみて「坊やちゃん」だったわけ。自分の記憶の引出しに間違えて入っていた、この事実。


私の無意識の中で「坊やちゃん→ペット」へのすり替えが起こっていた。でも、本質は同じである。男性を自立した生き物として認めず、その母性で甘く溶かして、依存させる。そうそう、これは女性の「母性」が為せる技なんだよね。だからこそ「坊やちゃん」なわけだ。

マルメラードフという人物像。酒浸りから脱することができず、仕事も続かない。この人をひとつの単語で象徴するならば、「依存」ということになろうか。精神が幼児なのね。自我の未発達。この人とカチェリーナの組み合わせというのは、悲劇的としか言いようがない。「罪と罰」の中では、どちらも惨めに死んじゃうわけだけど。

当たり前の事だけど、男性には「骨」が必要である。甘くとろかす母性に反抗する「牙」ね。まるちょうという人は、ずっと母性にくるまれて生きてきた。だから、そうした「骨」のない青年時代を送ってきた。自我の発達はもちろん遅れ、苦しい20代だった。やはり転機は結婚だろうな。これでようやく「母性からの解放」が実現したわけだ。だから私の「第二の誕生」は、36歳に結婚してからなんです。

こうして書いてきて、ようやく分かった。結局、カチェリーナの言葉への違和感は、私の無意識の中の「母性への怨嗟」なんだね。自我の芽生えを摘み取った母性へのコンプレックスなのだ。

母性という魔物。もちろん息子が本当に子供ならば、それは必須だ。しかし、普通は思春期を迎えて自我が形成され始めると、母性への抵抗が始まる。でも、私のように「過剰適応な性質」を持つ子供は、母の心からの愛を排除しない。全部受け入れてしまう。実際、私はほとんど反抗期というものが無かった。男性として必要な「牙」を育てるプロセスが欠如していた。そうしたアイデンティティ確立のまずさが、研修医時代の双極性障害発症に密接に繋がっていると、今では考えることができる。

マルメラードフというならず者を、私は自分の中に見てしまう。どうしても他人と思えない。彼もおそらく「過剰適応」だったのだと思う。母性に抗うことができず、自分を甘やかし、堕落し、破滅する。いわゆる「優しさ」は、人間の弱さと結びついている。でも本当の優しさは、芯に「牙」を持つべきだ。そうであってこそ、人生という荒波を乗り切るための属性となり得る。

いわゆる「あげまん」と呼ばれる女性は、男性を「坊やちゃん」などとは思わない。彼女たちは男性を、気持ちよく「行ってきなさい」と背中を押して外界へ送り出す。母性の「負の部分」をちゃんと自覚して「引き際」をちゃんと知ってるのね。そのためには、それ相応の知性が必要だと思う。知性のない女性ほど、母性をいつまでも発揮し続ける。母性しかない女性ほど、恐ろしくて悲しいものはない。子供が巣立って行ったら、すっからかんだもん。こんなの辛すぎる。女性は、息子や夫が巣立った後に、何か心の糧になるものを用意しておくべきだ。それこそ、必要な処世術だと思うんだけど。何度も言うけど、男はいつかは巣立って行くものです。そこで涙を隠して「頑張ってね」と手を振れる女性が、一番素敵だし知的だと思う。

総括。母性は必要以上に発揮し続けると、男性のためにならない。そこが不幸の源泉になっているケースが、いかに多いか。女性はいつか、男性を手放すべきだ。もちろん精神的な意味で。逆に言うと、女性はそういう辛い宿命を生来的に背負った存在である。その辛さに耐えて、どれだけ潔く振る舞えるかが「美しく生きる」ための要諦だと思うのです。

ちょっと堅い文章になりましたが、以上「お題を決めて語るコーナー」でした。