YouTubeを語るコーナー! 今回は「天才が天才でなくなる時」と題して語ってみたい。ネタになる映像は、2003年に放送された「情熱大陸」という番組。棋士の谷川浩司を紹介している。谷川さんは1983年、弱冠21歳で将棋界の頂点である名人位に就き、大山、中原の後の「天才」として、時代の寵児として君臨してきた。しかし03年当時は、谷川さんも41歳になり、タイトルは王位のみ。谷川さんの後の「天才」として羽生善治が登場し、棋界を制覇。谷川さんの影は、やや薄くなりつつあった。ちょうどその頃の映像である。
さて、まるちょうは今「シリコンバレーから将棋を観る/梅田望夫作」という本を読んでいる。この本に関する詳細は別のBlogに譲るが、今自分の中で「将棋をどのように楽しむか」という点で、あれこれ考えている。将棋は当分(あるいは永久に?)指さない。持病として、双極性障害がある関係で、必然的に悪い影響が出てしまうので。上記の本の中で、梅田さんは「指さなくても、将棋を楽しんでいいんじゃないか」という提案をしているのね。その流れで、将棋を並べてその戦略、心理戦、終盤の緊張などを楽しんだり、棋士の人物像と自分の生き方を照らし合わせたり、そうした楽しみ方を模索中なのです。その中で、この映像は「40代の棋士、谷川浩司」という切り口でうまくまとめてあり、勇気づけられる気がした。まずはこちらの映像からどうぞ。
「負けました」この一言で、将棋は終わる。この一言の重さを考えて欲しい。我々アマチュアがネット将棋で持ち時間各15分持ちでやるとする。とりわけ熱戦になった時、あるいは逆転でやられた時。この「負けました」の一言の重みは、簡単には言い表せない。怒り、悔しさ、自責、空虚さ、等々。そうした感情のコンプレックスに、しばし押し潰されそうになる。そこに行くと、プロは持ち時間各6時間とかで、まるまる一日を費やして戦うのだ。タイトル戦になると、持ち時間8時間とかで、二日がかり。そうした膨大な思考の果てに「負けました」に象徴される、非情な幕切れが待っている。棋士という仕事は、そうした根源的な厳しさを避けられない職業なのだ。
天上の選ばれし「神の子」が、やがて地上に追いやられ、「人間としての」苦しみを味わう。谷川さんは、自分がそういうフェイズに居ることを、おそらく自覚している。だからこそ、この番組にも出演の承諾をしたと思う。20代前半のまさに「神に選ばれし者」という称賛を脱ぎ捨て「人間 谷川浩司」を、映像に残すという選択をしたのだ。その潔さは、素晴らしいと思う。棋士としてではなく、人間として素晴らしい。ピークを過ぎるという現実を目の前にして、苦闘する姿。羽生にあって自分に無いものは何か? 終りのない自問自答。そうした、20代には経験しなかった「地上での苦悶、苦闘」。まるちょうは思うんだけど、いわゆる「天賦の才能」というのは、その人の人生の中で、あくまでも一部に過ぎない。「才能が涸れた後」という段階が、必ずやってくるから。「天賦の才能」に溺れたものは、容赦なく人生の深淵に突き落とされる。どんな天才であっても「地上での苦闘」は避けられない。
そうした場合に重要なポイントは、やはり家族。この映像では、奥様がとてもいい感じ。夫のことを陰から支え、厳しい戦いの荒野へ向かう夫を送り出す。ポンと背中を軽く叩いて押し出す感じがとてもよい。谷川さんも、奥様のことをとても愛してらっしゃることを映像から汲み取れる。幼小時、将棋に負けると、駒をかじって悔しがったほどの激しい気性の持ち主。40代の谷川浩司の中にも、おそらくそうした「激しさ」はあるはずだけど、日常生活の中で現れるのは、とても優しい人格者としてのオーラ。個人的には、奥様の影響があるんじゃないかとさえ思うんだけど。穏やかさというのは、その人が幸福である証拠に他ならない。
総括。40代で「地上で苦闘する」谷川さん。20代前半の頂点の頃を思えば、自分に対して落胆もあるだろう。でもあきらめず、現時点でベストを尽くす。同じ40代のまるちょうも「地上でじたばたしている」だけかもしれないけど、自分なりにベストを尽くそうと思う。人生の真ん中あたり。まだまだこれから、これから。「自分なりの人生」を想い描きつつ、日々頑張りたいと思いました。
最後に。棋士の生き方に共感して何かを学ぶというのは、とても意義深いことだと思う。将棋は指さないけど、こうした楽しみ方を、これからもできたらいいな~ 以上、YouTubeを語るのコーナーでした。