ノルウェイの森/トラン・アン・ユン監督(1)

「ノルウェイの森」(トラン・アン・ユン監督)を観た。言うまでもなく、原作は村上春樹の同名小説。のべ発行部数が1000万部を越える「モンスター作品」である。それだけ、たくさんの人に愛されている作品なわけだけど、それゆえに各人の「私のノルウェイの森」という、ある種の固定観念が出来上がっている可能性が高い。「ここはこうであるべきだ、あそこはこう・・」みたいな。だから、これを映画化するという試みは、とても険しい作業である。どう作ったって、観客の「ああ、裏切られた」感は、大なり小なり避けられないから。したがって、原作に偏愛的な執着を持っている人は、映画版を観るべきではない。がっかりするだけだ。寛容な人は観ればよい。そして、小説と映画の違いを楽しめばよい。そう、基本的に、小説と映画は別個の作品であることを知るべきだ。おそらく映画化するにあたって、村上さんはトラン監督に、そのへんの了承はしているはずだと思う。堅い言い方をすると、映画版は原作の奴隷であってはならない。ある意味、原作の見えない呪縛を解き放つ、思考や行動が必要だ。表現はできるだけ自由な方がよい。萎縮しては、いいものは出来ようがない。



さて、まるちょうが観てどうだったか。結論から言うと、がっかりした。そういう意味では、私は偏愛的なのかもしれない。どうしても許せない一点が残った。これさえなければ、ほぼ完璧なのに・・ そのへんについて、ちょっと語ってみたい。次のふたつを軸に。

#1 愛と性の不条理について
#2 レイコさんの描き方の不満


今回は#1について。思うんだけど、小説の情報量と映画の情報量を比較した場合、直観的には小説の方がはるかに多いんじゃないかと。だから、映画を制作する場合「いかに原作を抽出、デフォルメして、別の世界を作り上げるか」という思考が必要になってくる。どんどん削ぎ落として、新たな創作物として蘇らせる過程。この過程は、相当に苦しくてしんどい作業だと思う。原作を愛していれば愛しているほど。

そう考えた場合、本作は原作の「愛と性の不条理」について、特に突っ込んで描いてあると思う。ワタナベくんと直子の愛と性。松山ケンイチと菊池凛子は、よく健闘した。というか、素晴らしいと思う。特に菊池凛子の演技は初めて見たけど、自然に「なるほど、直子だ」と思わせる「役への没入感」を感じさせた。阿美寮付近の景色(夏は草原、冬は雪景色)は、実写ならではの美しさだったし、阿美寮での二人の性交(原作にはない)→しかし、直子が濡れず、性交できない→次第に絶望して病状が悪化する様が、原作より具体的に描かれていて、説得力があった。

学生時代、直子はキズキを愛し、でもキズキとはどうしても性交できず、ある日ぷっつりとキズキは自殺。結局、直子は天国にいるキズキを愛していて、ワタナベくんを愛してはいなかった。一度だけ、直子の二十歳の誕生日に二人は結ばれる。その時だけ、直子は濡れた。まさにその時だけ・・不条理としか言いようのない神様の悪戯。ワタナベくんの直子に対する感情は、果たして「愛」だったのだろうか? 作中「人としての責任みたいなものがあって、それを簡単に放り出すわけにはいかないんだ。たとえ彼女が僕を愛していないとしても」という表現を使っている。ワタナベくんは、直子の背後にキズキを見ていたと思う。ワタナベくんの複雑に絡み合った直子への感情は、まさに「ひとことでは言い表せない」。でも、確かに「愛のいち形式」には違いないのだ。その証拠に、直子が自殺した後、ワタナベくんは自責の念から、よだれを流して、死ぬほどにもがき苦しむ。

愛の不条理って、何だろう?「人は一人の異性を愛し抜くべきである」という理念。これが完璧に実現できれば、世界中に起こっている不幸の半分くらいは減るんじゃないだろうか。でも残念ながら、この理念に対して、生物学的な人間の本能は真っ向から反駁している。だって、本作に描かれるように「愛」にしたって、一種類じゃないんだよね。直子に対する愛、緑に対する愛、ふたつは別々だ。おそらくワタナベくんにとって、真実の愛は緑に対する愛だったと思う。でも、直子に対する愛は、運命的に無視できない存在なのだ。「無視できない」というより、直子はある意味「身体の一部」だったんだ。「二股」という俗な言い方では、到底片付けられない、こみ入った真実である。

トラン監督は、この難しい「愛と性の不条理」というテーマに真っ向から挑み、ある程度の成果を得たと思う。「ある程度?」いや大いに成果を上げたんじゃないか。少なくとも、私は原作を読む時以上に深く考えさせられた。そういう意味では、この映画化は成功である。しかし・・まるちょうにとって、まさに心の琴線に触れる「重大な変更」が、ラスト付近で施されていて、私はそれがどうにも納得いかなかった。それについて、次回#2として、書いてみます。