Inner Views Keith Jarrett(1)

「Inner Views Keith Jarrett」を読んだ。ジャズ・ピアニスト、キース・ジャレットのインタビュー本です。キースの演奏は好きで、CDもたくさん持っているし、コンサートも二回行った。この本も2004年頃だったか、街をぶらり歩いている時に書店でたまたま手に入れたんだけど、そのまま書棚で熟成。実際に読んだのは昨年だったか? 私という人間は、何をするにしてもスローです。心の底から湧き上がる「勢い」がないと、お蝶夫人♪によく言われる。何かに夢中になる、いわゆる「忘我」という境地になりにくい。この極めて個人的な傾向は、キースが語る内容に少しリンクするので、覚えておいて下さい。横道にそれましたが、本作は相当な労作であるにかかわらず、あまり売れなかったようだ。現在は廃刊になっているみたい。でも、キースの音楽を理解する上で、とても貴重であることに間違いはない。まるちょう的には、キースの音楽を離れても、一読の価値のある書物だと思っている。以下の二点を軸に、二回に分けて語ります。

#1 覚醒した状態とは、何だろう?

#2 獰猛な欲望(Ferocious Longing)について



今回は#1について。キースは本書の冒頭でこう語っている。

実は、ぼく自身、自分のことを音楽家だというふうには、考えていない。どういうことかって言うと、ぼくは自分の演奏を聴いていて、本当は音楽が問題なのではないということがよくわかるんだ。ぼくにとって、音楽というのは、目覚めた状態、覚醒した状態にに自分を置き、その知覚、意識、覚醒を認知し続けることにかかわったものなんだ。

だから即興演奏する時、自分が覚醒した状態にいるかどうか、すぐにわかる。自分で覚醒していると考えた場合、それはすでにそうではない、眠った状態にあるということなんだ。けれども、もしも自分で「どうもうまくいかないなあ、意識が希薄なのかな」と思っているとすれば、それはすでに意識が働いている状態、つまりなんらかの始まりを意味している。

 上記だけでは「キースの本意」が伝わらないかもしれない。僭越ながら、まるちょうが補足してみる。簡単に言うと「本当の意味で覚醒した状態でなければ、いい演奏は出来ない」ということだ。ではその「覚醒した状態」とは、具体的にどのような状態を指すのか?

例えば臨床的な意識レベルの記述の仕方として「3-3-9度分類(JCS)」というのがある。「JCS 0」というのは「意識清明」を表し、臨床的に意識障害が全くないという意味。しかし、これはあくまでも「病気でない程度の意識清明」のことであって、まるちょうの思うに「JCS 0」の中にも、相当の幅の意識レベルがありうるはず。名付けるとすれば「より高次の意識レベル」です。キースが即興演奏をするレベルの意識状態は「JCS 0」の中でも、相当に高いレベルの覚醒なのではないか? 一般に「極めて優れた仕事」をしている意識状態というのは、単なる「JCS 0」ではなく、もっと高次の集中力、注意力、統合力を指しているというのが、まるちょうの主張です。

私は今、河合隼雄のユング心理学の入門書を読んでいる。臨床的に「意識清明」というのは、あくまでも「自我により認知できる意識において清明」ということ。それに対して、上記の「より高いレベルの覚醒」は「無意識を含めての深層に及ぶ心全体(=自己 self)の覚醒」なのです。無意識という概念は、とても広大で深く、個人的無意識→家族的無意識→文化的無意識→普遍的無意識へと深化する。普遍的無意識というのは、簡単に言うと「人類共通の喜び、恐怖、悲しみ・・」ということになる。

若干難しい話になったけど、要するに、キースがケルンやブレーメン、ローザンヌなどで、極めて長い(時に1時間を越える)ソロ演奏を残したときの「極めて高い覚醒状態」は、まさに「宇宙との合一」だったと思うのです。無意識のずっと深い層まで降りて覚醒するというのは、そういうことです。特にローザンヌの演奏は個人的に「神が降りてきている」と感じる。もちろん、これを裏付ける論理など何もない。単なる個人的な直観に過ぎませんが(笑)。

ただ、事実としてこれだけ記しておきたい。本書にしかと記載されているが、キースはケルンでもブレーメンでも、パリでも、極めて体調が悪かったそうだ。精神的にも肉体的にも。キースはこう語る。

精神的、身体的に良くない状態というのは、すべてのものに対していっそう敏感になるということなんだ。きみが痛みの中にいるということは、きみが何かを感じているということだ。おそらくそのことは、音楽のためになる。ブレーメンで演奏した時は、背中の痛みがあまりにもひどくて、10分間も弾けない状態だった。

実際には、彼はブレーメンで45分と18分の見事な演奏を残している。後日、彼本人がその録音を聴かされて「これがあのひどい体調だったブレーメン?」と驚いたほどだ。したがって、こう言えるかもしれない。本当に高い覚醒状態を得ようとしたら、「通常の意識→自我」は、かえって邪魔なのだと。痛みが「余計な意識」を追い払ったという構図。とても興味深い話だと思いますが、いかがでしょう?

さて、今回はここまで。次回は#2の「獰猛な欲望について」というお題で語ります。