「Progress」にインスパイアされて

YouTubeを語るコーナー! 今回はスガシカオ作詞作曲の有名なうた「Progress」をネタに、ひとつBlogを書いてみようと思う。この楽曲はもちろん、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組の主題歌である。このうたに、まるちょうは大いにインスパイアされた。何か苦々しいもの、共感、感傷、地の底からわき上がる力。そうした一種のカオスを、自分なりに整理してみたい。まずはYouTubeの映像をご覧ください。



まるちょうがまず感じるのは、最初の歌詞。

ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた

この短い文章で想起されるのは、ずばり研修医時代の情景である。あの時はまさに、我々は横一列のスタートを切ったのだ。そうして、まるちょうは、いきなり無様にこけた。その年の冬には、そのレースからすでに離脱していた。得体の知れない「精神病」を抱えて。あのとき、他の研修医の先生方は、上記の歌詞のように「本当はシメシメと思っていた」のだろうか? あまりにも物事を悪くとりすぎる見方かもしれない。でも敢えて勇気を持ってリアリズムを取り戻すならば、確かに彼らは「思っていた」のである。念のために言っておくが、これは別に悪いことではない。むしろ社会人としては当然の思考である。安っぽいセンチメンタリズムで厳しい競争社会を渡っていけるほど、世の中は甘くないのである。

この楽曲が輝く理由は、その冒頭に「人間の一番深いところを抉る」真理が示されているからだ。冒頭にそれだけのインパクトが加えられているからこそ、このうたは人の心を惹き付ける。

「スタート直後の選手たち」にとって、とりわけ必要とされるのは、ずばり「力への意志」である。「情」ではなく「力」なのだ。誰が何と言おうが、それが現実である。このうたを聴くと、そのような「先制パンチ」で、いきなり頭をぶん殴られる。まるちょうにとって実に「苦々しいあの頃」が蘇ってくるのだ。

ずっと探していた理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは“ジブン”っていうらしい

この歌詞の言う「ジブン」という意味は、20代ではとうてい解り得ない。例えばまるちょうは、26歳で戦線離脱して、わけの分からない病気と闘い、内科医としては惨めな日々を送ってきた。惨めだったけど、毎日が必死だった。ギリギリだった。とても格好悪かった。自分の理想像なんて言葉すら、頭に浮かばなかった。36歳で結婚して、ようやく光明が見えた。今43歳になり、あの頃の苦闘は無駄じゃなかったと思える。

ぼくが歩いてきた日々と道のりを”ジブン”っていうらしい

マジックで自分が「理想の自分」になれるわけではない。現実の自分の積み重ねからしか「自分の行く末」を占うことはできない。ここでの一種の「諦念」が、20代と40代の差なんだろう。いい意味での「あきらめ」。生きていくために必要な「妥協」。20代の薄っぺらな理想主義を軽々と超える、40代のしたたかな現実主義。阿呆のように壁に頭を打ちつけるのではなく、スマートに壁の前でシフト・チェンジして直角に曲がる。そのように自己変革を厭わず獲得した「ジブン」こそが、本当のアイデンティティなのだ。

ねぇ ぼくらがユメ見たのって
誰かと同じ色の未来じゃない
誰も知らない世界へ向かっていく勇気を
“ミライ”っていうらしい

スタート地点では、みな競争相手。似たような価値観の中でせめぎ合い、勝ち負けが生じる。でもね、まるちょうが思うに、年月が経つほどに各々の価値観は多様化し、何が勝利で何が敗北なのか、ハッキリしなくなってくるんだよね。そう、人生は勝ち負けじゃない。自分だけの「ミライ」へ向かうことなんだ。そのために一番大事なこと。それは、ずばり自分を信じ抜くこと。

あと一歩だけ、前に 進もう

以上、YouTubeを語るのコーナーでした。