34歳でがんはないよね/本田麻由美作

師走の忙しさと躁鬱の波で、更新遅れました。私なんて忘年会がないだけ楽なんですけど、それでもせわしない。早く年末のあれこれを片付けて、楽になりたい。

「34歳でがんはないよね/本田麻由美作」を読んだ。これはお蝶夫人♪の蔵書で、私も本田さんには興味があった。というのも、読売新聞をとっている関係で、本田さんの記事はあれこれ目にしていたから。本田麻由美さんは、読売新聞の記者。「新聞記者が乳がんを患ったらどうなるか?」この視点で、とても率直に分かりやすく書かれている。発症から診断、治療、そして記事の発表とその大反響。文面から察するに、本田さんはごく普通のOLさんという印象。もちろん記者としてはプロなんだけど、仕事を離れると、普通の34歳女性である。どこにも小難しいところはない。そうしたごく普通の妙齢女性が、乳がんという苛酷な運命を背負い込むことにより、真のジャーナリストへ変貌する様を克明に描いている。もちろん、本田さん自身の闘病の「地獄」については、言うまでもない。でも本田さん独特の「おっとりキャラ」で、とても自然体に仕上がっていると思う。以下にまるちょうの率直な感想を記してみたい。


まず記しておきたいのは、本田さんの乳がんの経過について。発症は2002年。乳がんの病理型としては「粘液がん」という特殊なタイプで、病期は2期。ちゃんと治療できれば、7、8割の確率で治癒を期待できる。しかし本田さんの場合、その経過がとても複雑。以下に簡略化して書き出してみる。

2002年5月 乳がん(粘液がん)と診断



6月 初回の手術(乳房温存手術)



7月 二回目の手術(乳房全摘)



8月 術後抗がん剤治療開始



11月 局所再発



同月 三回目の手術(より広い範囲を切除)



12月 放射線治療加える



2003年1月 腫瘍マーカーの上昇と腰痛



2月 骨シンチ陰性



3月 婦人科にて卵巣の急激な腫大指摘あり



4月 卵巣の腫大は悪性でないとの診断



ホルモン治療継続へ
ざっと記しただけでも、こんな感じ。その紆余曲折の大変さは、本人でなければ到底解らないだろう。まるちょうの思うに、本田さんはとても「女性的な感性」の強い人だと思う。よく言えば細やかでおっとり、悪く言えば「センシティブで、悲観的になりやすい」。そんな本田さんを支える人が、夫の杉浦雅貴氏である。このご主人が、素晴らしい人。本田さんの不安を和らげようと、一緒に悪戦苦闘する。本作は、がんの闘病記であるとともに、ある夫婦の愛情を切々と記した記録でもある。

悲観や不安があるが故に戦略が生まれる。本作を読んでいると、そんな風に感じられた。私なんかは1992年以降、うつ病を発症して大変だったのだが、それほど「右往左往」という感じではなかった。もともとが「無為自然」で生きている人なので、どうしても「来た運命を受け入れる」というスタンスになりがち。それに対して本田さんは、とても女性的である。次々と現れる不安に対して、どんどんその不安を潰そうとして熟慮、行動される。個人的には「これは不安に感じ過ぎじゃないか?」と思われるような部分もあるのも確か。そして不安に感じるが故に、自分を追い込んでしまうという側面も致し方ない。そうした「女性的な心理の揺れ」が、全編を貫いている。

とても客観的に書いちゃうと上記のようなんだけど、やっぱり「34歳で乳がん」という厳しい現実を突きつけられたら、どんな人も平静を保てないだろう。うつ病は命に直接関わらないが、癌は命に関わるのだ。特に03年3月の卵巣腫大のくだりは、とても印象的だった。乳がんを患い、更に卵巣がんの疑いという、辛い試練。それを本田さんは豊富な人脈から、何人もの産婦人科医の診察を受けて、その疑いを晴らしてみせる。素晴らしい行動力だ。夫の杉浦氏のサポートも素晴らしい。

さて、本田記者は自分の身に起こった出来事を、記事にすることとなる。実際に患者になり、初めて知り得た現代医療の問題点。判断に苦しむ膨大な医療情報、自分で治療法を決めることの難しさ、患者を精神的に支えることの大切さ。誰でも一度は、生死をかけて医療に関わる時がやってくる。その時に、誰もが納得できる診察を受けられるようにするために、何をどう変えれば良いのか。本田さんは極めて率直にペンを取り、そうして多くの共感を得た。まるちょうの思うに、人間て、何か歪みがなければ、本当の「生きていく力」って出てこないと思うのね。何かを失わなければ、本当に学ぶことはできない。確かに本田さんが失ったものは果てしなく大きい。でも、記者としてのアイデンティティは極めて強固になっただろう。これからも夫の杉浦さんと支え合い、再発の恐怖に負けず、記者としてのよい仕事をされることを希望します。以上「34歳でがんはないよね」の感想を記しました。