タクシードライバー/マーティン・スコセッシ監督(2)

前回に引き続き「タクシードライバー」から。今回は#2「閉塞を打ち破ること」と題して書いてみる。まず、ロバート・デニーロ演じる主人公トラビスの背景を記しておく。ベトナム戦争から帰還した26歳の元海兵隊員であり、深刻な不眠症を抱えている。彼のアイデンティティの中心は「妥協できない良心」である。大都会の「悪」をことごとく憎む。前回記したように、大都会というのはいわば「悪の巣窟」であって、タクシードライバーという職業は、そのまさに巣窟の中を走り続ける仕事である。ここに、決定的な齟齬が生じる。トラビスはNYCでタクシーを流しながらつぶやく。

夜歩き回るクズは
売春婦、街娼、ヤクザ、ホモ、オカマ、麻薬売人
すべて悪だ
奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ?

結局のところ、心正しき者、魂の清い者にとって、そうした「悪を吞み込んで増殖するシステム」は耐えられない。妥協できないから。そうして次第に「閉塞」していく。空気が薄い。この「行き詰まる感じ」が、本作では完璧に描写されている。トラビスはこの閉塞感から逃れるために、ベツィという美しい女性にアプローチするが、うまく行かない。そうして更に閉塞が深まる。

「閉塞感」を別な言い方で表すと「居場所がない」これに尽きる。「罪と罰」における、酔いどれマルメラードフを思い出すなぁ。「居場所がない」という状態を、もう少し分析してみよう。根本は「自分が何のために生きているのか分からない」という状態である。アイデンティティの希薄さ。自分が誰にも必要とされていないという自覚。でも死ぬわけにもいかないので、不本意ながら、その日その日を暮らす。敗北感にまみれながら。不眠に悩まされながら。

トラビスの「閉塞に対する反抗」の第一歩は、拳銃を入手することだった。44マグナム、38マグナム、コルト25、ワルサー、計四丁を裏ルートで手に入れる。そこからのトラビスの行動は、ひとことで言うと「異様」だ。身体の鍛錬と拳銃の練習、病的な上昇志向。あたかも、自らを「殺人マシン」に仕立て上げるかのようだ。彼はこうして自らのアイデンティティを固めようとする。ここでご覧いただきたいのが、このシーン。トラビスが一人芝居に没入して、自分に酔っている場面。「結局俺様が一番強いんだ」という屈折した主張を、その一人芝居で満たしているのだ。



俺に用か? どうなんだ?
俺に用か? 誰に言ってるんだ、俺か?
俺しかおらん。 一体誰と話してるんだ?
ああ、そうか。そうか・・OK・・
(銃を構えて得意げに)ほらな!

この場面は本当に異様である。何が彼をそれほどに歪めたのか? やはり四丁の拳銃だろうと思う。銃という凶器は、容易に「自分が強い」という幻想を作り出す。まるで麻薬のように。トラビスはまさにその「拳銃の魔性」に吞み込まれたのだ。そこを出立点として、自らのアイデンティを積み上げる。そうして出来上がったのは、まさに殺人マシンそのものである。

自らを「殺人マシン」に仕立て上げた後、その標的は? 大統領候補のバランタインである。しかしこれは、敏感なSPの動きにより失敗。惨めなトラビス。混乱の果てに、かねてから「地球の汚物」と目しているギャング一味へ向かう。まだ12歳のアイリスを娼婦として働かせて、甘い汁を吸っている奴らだ。この時すでに、トラビスの頭の中では「ギャング一味を皆殺しにして、自分も死ぬ」という覚悟をしていた。つまり、悪を懲らしめるというよりは「やけくそ」なのね。そうして、あの歴史的な銃撃シーンが始まる。ぶるぶる震えるくらいのシーン。スコセッシ、すげぇな。まるちょうは、こうしたリアリズム描写は大好き。ガツンとかまされた。



トラビスは、ギャング一味を皆殺しにすることにより、結果的に「閉塞を打ち破る」ことに成功した。荒療治だけど、彼は確かに壁を突き破ったのだ。

閉塞・・現代は「閉塞の時代」とよく言われる。それは社会が悪いのか? 教育が悪いのか? あるいは時代そのものが悪いのか? 私見を述べると、それは社会の問題でもあり、同時に個人の心の問題でもある。でも究極的には心の問題だと思うのね。閉塞を打ち破るには、各個人が自己変革を達成する必要がある。トラビスはメチャメチャな方法だけど、自己変革を確かに獲得した。では一般論は?→しっかりと自分のビジョンを描いて、それを信じてこつこつと努力すること。そうして、ただひたすら待つこと。現代という忙しい時代は、時間の流れが速すぎて、待てない人が多すぎる。その結果、閉塞感の中でもがき苦しむ人が増えるのだ。魔法や博打で自己変革は手に入らない。とにかく方向性を決めたら、粛々と生活し、焦らずに待つこと。平凡なようですが、結局のところ、これが王道なのだとまるちょうは思います。

以上、二回にわたり「タクシードライバー」について語りました。