「時間割り」・・人間交差点より

漫画でBlogのコーナー! まるちょうお気に入りの短編漫画をネタに、今回も語ってみたい。「人間交差点」(矢島正雄作 弘兼憲史画)から「時間割り」という作品をモチーフに選んでみる。

まずはあらすじから。

zikanwari2可南子は29歳の小学校教諭。自分の理想と思うようにならない現実のギャップで行き詰まり、一年前から休職。その苦しみを癒すために、東京の叔父のところに遊びにきていた。叔父は売れっ子の劇作家。売れっ子なのだが、性格はいたっていい加減で責任感がない。ある時は、締め切りが迫って周囲があたふたしている時でも、「急用だ、急用!」と言って家を飛び出すかと思えば、何の事はない、かき氷を食べたかっただけ。zikanwari7結局、原稿を仕上げるまで、劇団の人に五時間以上待ってもらうことに。

叔父との付き合いは20年前に遡る。あの時は可南子が小学生、叔父は大学生。叔父はいい加減な家庭教師ぶりだった。その頃から可南子は叔父のことを「失格者で嘘つきで、怠惰、わがまま、誰がみたって将来が不安な性格の人」だと考えていた。母は楽天家というが、可南子はこの叔父を「単に責任感がなくて、人に迷惑をかけるのを何とも思わない人。だからこそ、出来もしない仕事を平気で受けたり約束破ったり、逃げ出したりする」と、半ば軽蔑さえしていた。

でも、現在はいちおう売れっ子である。生活はだらしないが、多忙を極める。ある時可南子は「オジ様はいつからこんなに働き者になりましたの?」と尋ねる。叔父曰く「俺の言葉ははやいんだ。頭の中の意識の流れもはやい。zikanwari6おまえの一年が俺の一日でしかないぐらいはやい。働き者になったわけじゃなくて、今はそういう時間が俺の身体の中を流れている」と。そしてこう付け加える「世の中になまけ者なんか、一人もいない。人によって人生の時間割りが違うだけだ」と。この言葉を聴いて、可南子の中で何かが弾けた。

20年前、可南子と叔父の時間割りは全てかけ離れていた。それが今は、だんだん接近してきている。帰郷の際、叔父はマンションの出口まで可南子を見送り、お気に入りのソフト帽を贈る。zikanwari1「冬休みまで預けておく」というコメント付きで。自分に対する叔父のさりげない好意が、なぜか可南子は嬉しかった。

まるちょうは、矢島正雄が呈示する「人生の時間割り」という考え方が好きだ。人の中を流れる時間というのは、確かにその時々の状況により変化しうる。上記のストーリーでは、可南子は小学校教諭として行き詰まり、休職の身。あれこれ悩み、前向きになれず、生産的でない。彼女の中の時間は、もちろんゆっくり過ぎている。停滞している。それに対して、叔父がアドバイスする。

幸福だけが続く人生もないし、絶望だけが続く人生もない。
どんな人間でも人生の中身は同じだよ。

これと同じ内容のことを村上春樹が「ノルウェイの森」の中で表現している。小林緑曰く

ビスケットの缶にいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ? それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって。

まるちょうは、1992年からずっとまずいビスケットばかり食べていた。ずっと好きじゃないビスケットだった。嘔吐しながら食べた。そうして、ようやく2000年頃から美味しいビスケットが缶の中から出始めた。考えてみると、あまりにもひどい時間割りだ。私がこのまずいビスケットに耐えられた要因のひとつは「自分のいい意味での無感覚さ」だったように思う。神経過敏な人なら、おそらく潰れていただろう。だから、可南子の叔父や小林緑の哲学は、私の中には自然発生的に内蔵されていたということになりそうだ。ひとことで言うと「無為自然」というやつね。嘔吐しても、食べなければならないものは、毎日食べる。そして消化して排泄して、また食べる。そうした地獄を、無神経に続けられたからこそ、今の自分がいる。

zikanwari5作中、可南子は休憩して仮眠している叔父の原稿用紙に「可南子、可南子、可南子、可南子・・」と書きなぐってあるのを見つける。ゴミ箱を調べると、全く同様の原稿用紙がわんさと出てくる。20年前、ずいぶん離れていた二人の時間割りが、いつの間にか接近していることを自覚する。可南子曰く「年の差って物理的には永久に縮まらないけど、年を経るに従ってどんどん近くなるのね」と。叔父の隠された好意に可南子は少し戸惑うが、やがて優しい気持ちになる。まるちょう思うに、可南子は叔父のあくまでもプラトニックな好意を発見して、嬉しかったんじゃないかな? そして、また頑張ってみよう、という元気をもらえたんだろう。zikanwari3最後は、ソフト帽をもらってはにかみながら「身体の中で、まっ白に止まっていた私の時間が、また動きだした」と元気よく帰郷の途につく。

総括。絶望を乗り越えるためには、内因的な傾向も必要だが、人とのつながりはもっと重要である。私の場合、2000年頃から絶望の淵からある程度這い上がっていたが、決定的だったのは、やはり2002年のお蝶夫人♪との出逢い。これで、ビスケットの味は格段にうまくなった。まるちょうの中で、現在の時間の流れは1990年代のそれよりも数倍はやい。そして「世の中になまけ者なんか、一人もいない。人によって人生の時間割りが違うだけ」という透徹した観点。一見怠け者みたいな人をすぐに排除するのではなく、「ゆるく」見守るという態度ね。この「時間割り」という哲学を前にすると、ダメな自分にも少し優しくなれる気がするのです。以上、漫画でBlogのコーナーでした。