女は残酷なのか?

「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>実は私、人を傷つけるのがすごい得意みたいで、わかるんです。これ言ったら、すごい傷つくだろうなってことが。でも普段はそういうのが分かっていても口に出したりはしません。でも、たまにすごく残酷な気分になって言ってしまうのです。止められません。そのあとすごい後悔するってわかってるのに、そのときは、どうしようもないのです。しかも、自分の逃げ道はちゃんと残してあるんです。最近人に会うのまで怖くなってしまいました。村上さんこういう経験ありますか? 何か訳わかんない事書いてすいません。

<村上さんの回答>僕はついうっかり人を傷つけてしまうことはしばしばありますが(アホなので)、「これを言うと相手が傷つくとわかっていて、わかっていながら言ってしまう」ということはまずありません。でも、僕の経験から言いまして、たいていの女の人って、あなたと同じような傾向はありますよ。多かれ少なかれ。だから、あまり気にすることはないと思います。誰にも欠点はあります。プラマイして、総合的にみて素敵な女性になればいいのです。


<まるちょうの考察>まるちょうも基本的に村上さんと同じです。むしろ、相手の「傷つきやすい部分」は、できるだけ触らないようにしている気がする。分かっていて相手を傷つけてしまうというのは、間違いなく「悪の意志」と言えるだろう。村上さんは、たいていの女性はこうした心の動きを持っている、とおっしゃる。つまり「悪への志向」ね。それが本当だとすると、女性とはいかにも怖い存在、という事になりそうだ。

さて、女性とは残酷な存在である。これは、常々まるちょうが思うこと。具体的には、何につけランキングしたがる。どれが優れていて、どれが劣っているか、そうした位置づけを明確にしたがる。確かに物事には序列があり、優劣があるけど、女性はそれを曖昧にできないように思う。だから例えば、女だけの職場というのは、男性が思う以上に苛酷な側面があるだろう。男の目には見えない「階級」があるんじゃないだろうか。その背景には女性特有の「上昇志向」があると思うのね。「負けん気」というやつ。負けん気があまりにも多く集まって軋轢を生み出せば、そりゃ大変だよ。

でも「悪への志向」があるからこそ、物事に対する美意識が研ぎすまされる、と言ったらびっくりされるだろうか? 美意識を持つとは、端的に言うと「劣ったものを葬る」行為である。その残酷さというのは、いかにも女性的だと思うんだけど。「美」に対して、女性は敏感である。その裏側で「汚いもの」に対する嫌悪は、男性が想像する以上だろう。女性はおそらく常に「汚いもの」を本能で感じ取り、それを葬って生きている。たいていの女はそういう意味で、本質的に「殺し屋」なのである。

NIKITA2webちょっと飛躍したけど、女性って根本にそうした「冷酷さ」があるように思う。その延長線上に「ニキータ」などの映画があるんじゃないかな? リュック・ベッソンも、そうした女の「殺し屋的なもの」を見抜いていたんじゃないか? ただ、そうした「悪への志向」も、恋をして出産し母となると、変わるんじゃないか? いわゆる「母性」というのは、ひとことで表現するなら「善への転換」かもしれない。子供を育てるという時、一番必要なのは寛容さだと思う。「劣ったものを葬る」というパラダイムでは、子供は育たない。成熟するためには「殺し屋稼業」から足を洗わないとだめなのね。

総括。「悪への志向」は、女性を美しくさせる。「悪」とは、女には根源的に備わったものかもしれない。でも、その自身の「悪」で、後悔したり恐ろしくなったりする事もある。そうした場合の処方箋としては、月並みですが、やはり恋をする事じゃないでしょうか。成熟する事により「女のぎすぎすした残酷さ」は、まろやかになる気がする。まぁ、男性としては「女の悪」に惹かれる場合が往々にしてあるわけですが。でも、自分の「殺し屋的なところ」を振り回す女は、男性にモテるかもしれないが、その先にあるのは破滅でしかない。だから乙女というのは、常に危ない橋を渡っているんだろうね。男が唐変木でいられる一方で、女性は大変な目に遭っているのだ。女性のそうした「業」に対して、まるちょうは最敬礼したいと思います。

以上、迷走した文になっちまいましたが、これでアップします。村上さんのQ&Aのコーナーでした。