近況

近況をみっつほど。

ひとつめ。先月20日のこと。地デジ関連の買い物の下見にJoshinに夫婦で出かけたのだが、あれこれ品定めをしているうちに「もう、買っちゃおうか」という流れになり、購入いたしました。エコポイントが年末までだし、そうすると11月以降は混雑するだろうし。で、何を買ったかというと、結局シャープの40型の液晶。うちはテレビをそれほど重要視しない家風(笑)なので、このくらいの大きさがよいかと。前のブラウン管テレビは29型だったので、これで十分なのだ。これとブルーレイ対応レコーダー。そして、寝室用のテレビをどうするか。これはチューナー付きレコーダーという選択肢があった。寝室のテレビは、現状ほとんど使っていない。ここに本格的な投資をするのは、ちょっといただけない。ブラウン管テレビはそのままに、レコーダーのみ地デジ対応とするのが適当と判断。このレコーダーは、VHS→DVDへの変換も可能なので、手持ちの大事なVHSを自分で変換してDVDとして保存できる。そんなこんなで商談成立。わりとよい買い物だったと思っています。30日にJoshinから配送と取り付け工事。ぼちぼち、快適なデジタルライフを送っています。


ふたつめ。Joshinでよい買い物をした、ちょうどその日の夜。そろそろネット将棋再開を考えていた。気分も悪くないし、ちょっとやってやろうかと。「将棋24」にアクセスして対局してみた。戦型は私の苦手な「相振り飛車」。大した山場もなく敗れる。まもなく、大量の発汗と鉛のような疲労感が体に押し寄せる。何もする気がせず、そのままベッドへ。2時間くらい寝て、起きてみると、治りかけていたぎっくり腰が悪くなっている。将棋をして、腰にくるなんて! 更にそれに追い討ちをかけるように、その後一週間ほど躁鬱の状態が悪くなった。やっぱり、現状の抗うつ剤の服用量では、制限時間のある対局は負荷が強すぎるか。なんかがっくり。腰はまだいいとして、躁鬱は家族に迷惑がかかるしね。本当なら、10月から再開して年内いっぱいはネット将棋を楽しむつもりだったけど、この体たらくでは、やはり諦めざるをえない。誠に断腸の思いです。冬期に抗うつ剤を1錠減らす予定なので、春ごろ、もう一度ネット将棋を試してみたい。将棋は、詰め将棋とか棋譜を盤に並べるとか、柿木将棋をするとか、いろいろ楽しみ方はあるんだけど、結局どれも小確幸に過ぎないんだよね。やはり、生きた人間と生の対局をするのが一番ワクワクする楽しみなんです。でも、一家の長として、この「煮えたぎる欲望」は胸の奥底に封印します。来年の春まで。あ~ぁ、辛いなぁ。

foot_photoみっつめ。先月26日にキース・ジャレット・トリオのコンサート(神戸国際会館)に行ってきた。その日は20日の悪い流れを引きずっていて、躁鬱の波のまっただ中。具体的には躁と鬱のミックスである。ひたすら眠いし、なんかムラムラするし、とにかく建設的な思考ができない。俯瞰的に言うと、本能が全面に出て理性を押さえ込んでいる感じ。そういうわけで、何もできずにずっとベッドに横たわっていた。夕方4時頃には、そろそろ家を出ないといけないのだが、体が動かない。そこへお蝶夫人♪がやってきた。これと同じ光景は以前にもあったのだ。あれはハービー・ハンコックとウエイン・ショーターのコンサートだっけ。あれは結局ちゃんと行けた。彼女はあの時のことを覚えていて「頑張ったら、行けるんちゃう? やっぱり、チケットもったいないよ」とアドバイス。確かにそれはそうだ。私は「えいっ」とベッドから抜け出て、家を出る準備を始める。

電車に乗って動きだすと、やっぱり体が軽くなってきた。JR三ノ宮駅前のなか卯で、ささっと夕飯かき込んで、会場へ。チケットを取るのが遅かったので、三階席の一番後ろの方。でもでも!キースのピアノはしかと俺の脳髄に染み込んだ! 初めの数タッチ、目頭が熱くなった。このトリオも高齢化が進み、やはりそんなに期待してはいけないのかな?なんて、邪心を持っていたのだけど、その心配は気持ちよく吹っ飛んだ。キース65歳、ゲイリー・ピーコック74歳、ジャック・ディジョネット68歳。個人的にはジャックのハイアット・シンバルが、なんかもう一つしっくりこなかったけど、キースのピアノは、やはり別格。なんと表現したらいいのだろう? 艶があり、音に確かな芯がある。その芯が、我々の心の底にある何かを揺さぶり、覚醒させる。単なる技術だけではない、深い哲学に根ざした「表現の極地」なんだと思う。キースがこんなこと言ってる。ちょっと長い引用ですが、とても示唆に富んでいると思うので。

ピアノは私の好きな楽器ではない。好きなどころか大嫌いなんだ。即興しているとき、聞こえているのはピアノのサウンドじゃないんだ。私が聞いているのは、もっと限りなく表現力豊かな何かだ。嫌なのは、特に限界をいっぱいもっているこのピアノという楽器を使って、自分のなかで聞こえているものを仕方なく表現しようとする他ない、ということ。息を吹き込んで音を出す管楽器か皮を張った太鼓が自分の楽器だったらいいのにと思う。私の好きな詩人のルーミーは、詩を書くことを憎んでいたし、アインシュタインは数学が嫌いだった。もしも職人が自分の使っている道具を何の不備もなく気に入っているとしよう。するとね、その職人はもはやそれ以上のアイディアを生み出すことができなくなってしまうんだよ。

曲目はラストの「Bye Bye Blackbird」のみなんとか分かった。でも、そういうのじゃなくて、この希有なアーティストと時空を一緒にできただけでも、来た甲斐はあったと思う。アンコールが二曲あって、嬉しかったぞ。会場を出た頃には、夕方の体の重さはすっかりなくなっていた。お蝶夫人♪、ケツを叩いてくれてありがとう。素敵な一夜でした。

以上、近況をみっつ記しました。