七人の侍/黒澤明監督(3)

kassen1引き続き「七人の侍」から、今回は「伝説の『雨中の合戦』」というお題で書いてみる。この戦闘シーンのなんというど迫力。そのリアルさは、まさに筆舌に尽くし難い。ここでの黒澤監督の哲学はこうだ。当時の日本映画というのは、いわば「お茶漬けさらさら」。そうではなく、もっとこってりとしたご馳走を、お客に供したい。黒澤監督曰く「ビフテキの上にバターをぬって蒲焼きをのせた映画」という表現をしている。要するに「がっつりくる映画」ね。その徹底した本物志向が、本作の根底にあることは間違いない。

当然ながら、雨の演出がここでは鍵となる。このシーンを撮影したのが二月。大雪が降って、それを水を撒いて雪を溶かしたりして、撮影開始となる。したがって、スタッフも役者も相当な苦労があったと思われる。まさに「極寒の雨地獄」。こうした過酷な状況で、この名場面は撮影された。手元の資料から引用してみる。

これほど雨を効果的に使った場面は、世界の映画の中でも稀だろう。小道具、特機、舞台課の精鋭が我こそはとホースを握りしめた。当時は砧村の消防団が八台も車を廻してくれた。もしもどこかで火事があると大変だから、いつでも出動できるように、ウーウーいう消防車も用意していた。水はタンクと川からとった。ホースは大きいのを二口で二十箇所ぐらいから降らせたのだから、雨の係が四十人はいた事になる。黒澤さんは雨の中をずぶぬれになって走りまわり「ここへ降らせるんだ!」と、自分の体を指しながら雨係にどなっていた。


この名場面で、二人の侍が「種子島(火縄銃)」にやられ死ぬ。まず、宮本武蔵がモデルの久蔵。久蔵が撃たれて雨の泥地獄の中に倒れ、若い勝四郎が駆け寄る場面は、胸にぐっと来るものがある。そして、菊千代の壮絶な死。この二人の戦死が、視聴者にあまりにも大きな喪失感を与える。そして「野武士は、野武士は~!」と泣き叫ぶ勝四郎に「野武士は、もうおらん!」と諌めるように言う勘兵衛。「うあぁ~!」と泣き崩れる勝四郎。そして勘兵衛が地に刀を突き刺し体を支えるように絞り出す科白「また、生き残ったな・・」、これがなんとも渋い。ここで支配する雰囲気は戦勝の高揚感ではなく、むしろ一種荒涼とした達成感、疲労感だろう。勘兵衛の最後の科白には「この戦で喪った四人の仲間への悼み」があると思う。喜べない勝利なのだ。



上記のように、このシーンはひとことで言うと「リアリズムの極み」である。黒澤監督の「本物志向」が、結晶した場面だった。特典映像を観ると黒澤監督は、いかに撮影したものを編集の段階で削ぎ落として、短くしたかということが伝えられている。いったん撮影したマテリアルを、それこそ断腸の思いで刈り込んで刈り込んで、凝縮したものを観客に供する。この哲学は、ものを創る時の金科玉条だろう。要するに「ソフィスティケート」ということね。この過程で、いわゆる「行間の想い」が醸し出されるのだと思う。

黒澤監督曰く「創ると云う事は、素晴らしい!」と。この言葉、上記のような「地獄」をくぐり抜けてきた人に言われると、やはり重みがある。しんどくても、あきらめず何かを創り続けること。まるちょうはBlogを書いている。もちろん映画のような大掛かりな創作ではないし、ごく個人的な作業だけど、やはり「何かを創り続ける」という事に、永く従事して行きたいと思います。

最後に、YouTubeからひとつ面白い映像を紹介して終わる。最晩年の淀川長治さんが黒澤監督のことを熱く語っている。とてもよいインタビューなのでご覧下さい。