七人の侍/黒澤明監督(0)

「七人の侍」(黒澤明監督)を観た。昨年の夏に観たのだが、なかなかBlogに書けず、今になってしまった。超大作の感想というのは、実際に書こうとするとひどく億劫である。その腰の重さの一方で、やっぱり大好きなこの作品について、しっかり向き合って感想を書いてみたい・・そうした葛藤がずっとあった。本作の感想を書くにあたり、昨年観てからもうすでに一年以上経過しているということで、急遽もう一度観ることとなる。

本作との最初の出逢いは、私が25歳のとき。医学部6年生で、どこの医局に入るか検討していた頃。小児内科の医局に伺い、いろいろ話をして、帰り際に映画の話になった。その頃、私は新旧問わず映画を観ることに貪欲で、その流れで医局の先生が「今『七人の侍』のリバイバルをやってる。劇場公開はこれが最後かもしれない。DVD化はされない可能性もある」とのアドバイスをいただいた。先輩の「あれは観ておくべし」との強い勧めで、映画館に足を運んだ。

そうして映画を見終わってから、最初に思ったこと。「なんて時間の長さを感じさせない作品だろう」ということ。これ、三時間半の長さがあるんだよね~! なんかあっという間だった。スクリーンを呆然と眺めながら、しばらく立てなかった。近くの席で派手に手を叩いている老年のオッサンがいたけど、私も手を叩こうかと思ったほどだ。すごい衝撃だった。

さて、ここで私事になりますが・・ 医学部6年生の当時。私は「組織に対する不信感、不安感」というものを漠然と、しかし心の奥深くで感じていた。5年生の時に軟式テニス部のキャプテンをすることになり、その一年間で私の心はズタズタに切り刻まれた。今から考えると、私はキャプテンという仕事を引き受けるべきではなかったのだ。自分のキャラが解ってなかった。組織を統括するという仕事が、自分にとって地獄であると、その一年で悟った。

私みたいなのは、マキャベリの「君主論」みたいな書物を読むべきなのかもしれない。いやいや、読んで変われるわけでもないけど。あの5年生の時の私は、まさに「弱い君主」だった。「誠意があれば統治できる」という根本的な誤謬に陥っていた。今なら解る。人々をまとめるためには、冷徹さや懐疑をベースにした「強さ」が必要である。そういう意味では、私は君主になれるキャラではないのだ。あのキャプテンを務めた一年、クラブはある意味「無政府状態」だったのかもしれない。そしてあの一年に及ぶストレスは、気が遠くなるようなものだった。今更どうしようもないことだけど、今の双極性障害という病の萌芽が、あの時、私の心の中で起こっていたと自分では確信している。

そうした辛い一年を過ごした後で、私は「組織って怖い、何されるかわからん」という気持ちで内心震えていた。そこへ、この「七人の侍」である。各々の異なる背景、能力、気質を持った人々が、力を合わせて困難に立ち向かう。まさに「理想としての組織像」ですね。その戦略、力強さ、絆、それらが引き起こす最終的な感動、全てにおいて目から鱗が落ちた。私がキャプテンの一年で失ったものを、回復してくれるようだった。人々が力を合わせること、これは幻想じゃないんだ。それでいいんだ。深い傷が癒されていくのが分かった。

以上のように、本作は私にとって記念碑的な映画です。だからこそ、感想を書くのもなかなか腰が上がらなかった。えいっと、踏み出してみます。次回から、次のみっつの軸で書いてみます。

#1 リーダーとしての資質

#2 スパイシーな存在

#3 伝説の「雨中の合戦」