罪と罰(4b)/ドストエフスキー作

引き続き「罪と罰」から#4の後半を書きたい。これ書いたら、ようやく「脱稿」です。正直、早く楽になりたいっす(笑)。

法的な贖罪は、警察へ自首してシベリアで刑期をまっとうすることにより完遂される。刑期は8年。ラスコーリニコフにとって問題なのは、むしろ「心的な贖罪」である。神の掟を犯した罪をあがなうこと。彼は自首するときでさえ、殺害した老婆のことを「有害なしらみ」と考えていた。つまり犯罪そのものについて「悔い改める」ことはなかった。「偉大な一歩を踏み出すことを単に『失敗』しただけ」・・そのように彼は捉えていた。ただし、自分の卑小さを責めはしていたが・・

まるちょうが一番気に食わないのは、彼の「異様なほどの傲岸不遜」である。まるで王様であるかのようだ。今風に言うと「俺様モード」ですね。若者にありがちな態度だけど、この態度で厳しい現実社会を渡っていけると思ったら大間違いである。彼らの「無限パワー」が負の方向に暴徒のごとく走り始めたら、これ以上恐ろしいことはない。ドスト氏は、そんな彼らに本作を以って鉄槌を下したのだ。


シベリア。収監後一年半経過しても、ラスコーリニコフの中には「犯罪を悔い改める心」は生まれてこない。言い換えると「心的な贖罪」は始まらまい。刑期を終えたら、32歳。それから、何のために生きる? 何を目標にする? 何を目指す? 彼にとっては、監獄のなかでの暮らしは絶望以外の何ものでもなかった。他の囚人たちとも付き合おうとせず、孤立するばかり。何日も何日も口をきかず、顔色はひどく青くなり、結局病に倒れて、囚人病棟に入院した。

彼をくじいたのは、醜悪な監獄生活でも、労役でも、ひどい食べ物でもない。刑務なんてものは、彼に取ってはどうでもよかったのだ。彼が傷つけられたのは、まさに「王様のような誇り」だった。絶望のなかで、彼はソーニャに辛く当たる。彼女はペテルブルグからシベリアへ移住し、逐一ラスコーリニコフの状態をドゥーニャやラズミーヒンに伝えていた。シベリアでしかと腰を落ちつけて、裁縫で身を立てていた。そうして足しげく監獄へ面会に行った。彼女は本当に粘り強く彼に関わっていく。いくら邪険にされ、粗暴な反応をされても。いつからか、囚人たちはソーニャに好意を持つようになる。ソーニャの人となりが現れる印象的な部分なので引用しておく。

彼女は別に彼らに取り入ろうとしたわけではなく、顔を合わすのもまれだった。ただ一度、クリスマスの時に、監獄中の囚人たちに肉饅頭と白パンを贈っただけである。他にも彼女は、彼らが肉親にあてる手紙を代筆してやり、郵便局に持って行ってやった。町を訪ねてくる彼らの身内のものたちは、彼らの指図通り、差し入れの品物やお金までもソーニャに預けていった。彼らの妻や情婦たちも、彼女のことを知っていて、訪ねてきた。彼女がラスコーリニコフを訪ねて労役の場に現れたり、労役に向かう囚人の一隊と顔を合わせたりする時には、みなが帽子を取って、お辞儀した。「ソフィア・セミョーノブナ、あんたはおれたちのおっかさんだ、やさしい、思いやりのあるおふくろだよ!」粗暴な、札つきの徒刑囚たちが、この小柄な、やせた女にこう言うのだった。彼女は微笑で答えて、会釈を返す。みなは、彼らにほほえみかける彼女が大好きだった。

ラスコーリニコフが入院中に、ソーニャが病気になる。そうして、彼女は監獄に姿を見せなくなる。退院した彼は、ひどく不安になる。しかし結局たいした病気ではなく、また作業場へ出向いていけるとの知らせ。ラスコーリニコフの心臓ははげしく、うずくように高鳴った。

そしてラストシーン。ある晴れたあたたかい日の早朝。ラスコーリニコフは川の岸辺に労役に来ている。ひとりぼんやりと丸太に腰掛けて、荒涼とした広い川面を眺めている。そこへソーニャがそっと隣に腰掛ける。そして、いつものくせで、おずおずと手を差し伸べる。彼はいつも、しぶしぶとその手を取り、いつも怒ったように彼女を迎える。ひとことも口をきかないことさえあった。しかし、この時はふたりの手は離れなかった。そして・・

どうしてそうなったのか、彼は自分でも知らなかった。ただ、ふいに何かが彼をつかんで、彼女の足もとに身を投げさせた。彼は泣きながら、彼女の両膝を抱えた。最初の一瞬、彼女ははげしくおびえて、顔が死人のようになった。彼女はその場からはね起き、わなわなとふるえて、彼を見つめた。しかし、すぐさま、一瞬のうちに彼女はすべてを理解した。彼女の目にかぎりもない幸福が輝きはじめた。彼女は理解したのだった。もう彼女にも一点の疑いもなかった。彼は彼女を愛している、かぎりもなく愛している、そして、とうとう、この瞬間がやって来たのだ・・。

ふたりは口をきこうとしたのだが、できなかった。涙がふたりの目に浮かんでいた。ふたりはどちらも青白く、やせていた。だが、この病みつかれた青白い顔には、新しい未来の、新しい生活への全き復活の朝焼けが、すでに明るく輝いていた。ふたりを復活させたのは愛だった。おたがいの心に、もうひとつの心にとっての尽きることのない生の泉が秘められていたのだ。

この瞬間・・ソーニャにひざまずいた瞬間に、彼の幼稚な傲慢さは消し飛んだ。「彼女なしには生きていけない」「自分がいかに不完全な存在か」という確固たる自覚。第四部第四章で、ソーニャの足に接吻し「ぼくはきみにひざまずいたんじゃない。人類のすべての苦悩の前にひざまずいたんだ」とキザな科白を言うんだけど、この時はまだまだ格好つけてる。でもたぶん、このときからずっとソーニャのことは好きだったんだろうな。ラストシーンで、その愛情が、何のごまかしもなく、心の底からあふれ出たという感じだよね~。今回本作を読んで、このシーンが一番気に入りました。目頭が熱くなった。やはり、人を蘇らせるのは人の心しかないんだね。

最後にひとこと。やはり江川卓の訳は読みやすいし、かつ奥深さもちゃんと保たれている。現在「謎とき『罪と罰』」を読んでいる最中だけど、本作を深く理解するためには、聖書に関する知識が不可欠。江川さんの手にかかると、本書がどんどん立体化していく。というか、ドスト氏がいかに複雑な仕掛けを縦横無尽に張り巡らしたか、ということなんだけど。それについては、機会があればまた、Blogで語りたいと思います。ドスト氏の他の著作も、なんとか挑戦してみたい。まずは「白痴」かなぁ。とりあえず、本作の感想は以上でお終いにします。ここまでお付き合いくださったあなたに、深く御礼申し上げます。m(_ _)m